美容や病気の克服に必要なのは食医と疾医 ② | Varahi のブログ

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チベット、ブータン等に伝わる瑜伽行者必携の如意宝珠、甘露、聖物等の説明、行法雑記など

 

 

食医は食事を持て病にならないように、早く治るように陰陽五行の相生相克などと

合わせ云々だけのように受け取られていますが、それだけでは合うものは非常に稀です。

 

たとえば漢方薬(日本の場合は使用できないものもあるため和漢)などは

効きが遅い、効かないとよく言われてしまいますが、

 

陰陽五行だけでは狭いんですね。

 

太極より陰陽二極が生じ、二極より四象、八卦、六十四卦と言うように展開、生じていきますが、

その陰陽には時期、季節、時間などの作用なども決まっており、

 

木火土金水による相生相克などによりそれぞれの状態や体質などを診ますが、

 

これらは先に対しての展開、過去を見ると言っても経緯でしかないので展開に変わりがないんですね。

 

そのためにマニュアルはできるでしょうが、その基準からでしか診ることは出来ません。

 

臨床データなどから応用は利きますが、どうしても限界をどこかで感じていると思います。

 

これは陰陽以前、五行以前のものなどがないからなんですね。

 

これは食事も同様です。

そのためにオーガニックにこだわっても、土まで作られているところは少なく、

オーガニックと言われていても最低限の薬品を使っていることも多いんですね。

 

更に一番良くないのは、腹を満たすために食べることです。

これを行っていれば、どんなに食事に注意し、自然主義でも肉体や心、癖は悪い方へ向いていきます。

逆にこれに注意しているなら、多少有害なものでも自然に解毒し、抵抗力がついていくように

人の体はできているんですね。

 

王家のものは病気になりやすい。

 

だから食医も必要となる。

いくら栄養云々でこだわって騒いでいても、その基準は古い時代のもののままいまだに言われています。

カロリーにこだわってもアミノ酸にこだわらなければ意味も無く、日本人は特に慢性的にミネラル不足に陥っているので、ビタミンをいくら補給しても役にも立たずにアミノ酸も身にならない。

ミネラルのこだわりだしてもクエン酸がなければ役にも立たない。

クエン酸不足やミネラルを阻害する食べ物が多い現代ではなおさら漢方のような成分もまともに働けないんですね。

 

誰かが謳い産業に利用されているものにこだわり学んでもその誰かには近づくことは出来ますが、

健康には近づけないんですね。

 

オーガニックなどにこだわっていた女性などが次々と乳がんになったという報告もありますが、

過剰な栄養も(使われない)また尿や母乳などでも排出されてしまいますが、

 

母乳が出ない場合にはどうなるでしょうか?

 

母乳が出る方は子供に行き、出ない方は停滞し酸化する。

ビタミンCなどは役目を終えればそれ自体が有害なものに変わり、人体に残ってしまうものもある。

これを輩出するにはビタミンEが必要とされますが、これも慢性的に不足しています。

 

野菜も皮をきれいに向き見た目だけでろくに栄養も無い。

栄養学もさほど役にも立っていないんですね。

 

以前日赤系の病院でいつまでたっても治らない患者さんがいて、身内の方に頼まれていきました。

栄養士もしっかりしたものがいるので万全だと病院側は言いますが、

 

半ば強引に食事を一切出さないように頼み、こちらで作ったものを毎日運ぶ事にしました。

そうして三日で回復し退院できたということがたくさんありましたが、

助かることはなかった末期のがんの方も、治ることもないのに薬や検査はもっと苦しくもういやだと言い

食事と漢方(古式)と併用し、一切痛みも無く体力も落ちることなく、亡くなる当日まで

自分で車を運転し家族と一緒にいろいろな事をやられていました。

 

あと少し早ければよくなられたかもしれませんね。

 

医師の治療や対応を否定しているわけではありません。

欧米型医療ではなく、ヨーロッパのように、どちらも併用できるようにするべきだということなんですね。

 

ヨーロッパのある地域では病院は無く、病人が住む専用の住宅が並ぶ地域があり、

それ自体が病院と同じになっています。

 

散歩も自由で、何かあればすぐ医師が来られ、その場で治療ができる。

 

世界四大医療いずれも併用ができ、医師もその知識も十分にある。

 

不可能とされる難病の多くも完治まではいかなくともよくなり普通に生活もできるようになったりと

現在進行形で発展しています。

 

患者のためと言う理念中心なんですね。

 

一方欧米型医療は製薬産業中心です。

どんなに良い事を言おうが、患者のためではないんですね。

 

お金のあるもの無いもので差が大きい医療は、貧富の差で治療が変わる、受けられないということがあってはならないと言う世界の医療の本分と言う物であってはいけないという事、

 

それら以前に食医と言う、家庭ならば歳を重ねた先人や主婦の役割でもあったという事。

それを無くした現代では、病気になりただ嘆くだけを選択しようとしているのか?

それとも既に選択してしまっているのか・・・

 

あたりまえでなくなった今では、しっかり考えなければいけないことなんですね。