ブログを1年半ぶりぐらいに書く

まぁ最近はTwitterばっかりで
ふざけたことしか書かないから

『DJ社長って本当に社長なんですか?』って

聞かれたりするようになってきたし
この際、自己紹介しようかなと思ってる




福岡生まれ福岡育ち、

『なんでもいいからとにかくBIGになりたい』そう思って
高校を卒業してすぐ19歳の時に地元、福岡から上京し

友達0、人脈0、知識0、経験0でビジネスの世界に飛び込んだ、
毎日いろんな会社の社長さんに会いに行き話を聞いて回った

しかし、結局話を聞いて回っても自分が何をすればいいのか全く分からなかった。

そんな時に「学イベ」と呼ばれる若者主催のDJフェスに出会った
『同世代だけで企画、運営をして、ひとつのイベントを創りあげているんだ』と強く胸を打たれた

「これなら俺にもできる」そして「やるからには一番になりたい」そう思い
オーガナイザーとして頑張り始る事を決意した、

失敗を繰り返しながらもイベントを何十回も主催し続け
上京わずか1年でZeep東京を貸切り2500人を動員、当時1番のイベントを主催した。

そのイベントはテレビやYahoo!ニュースにも取り上げられるほど話題を生んだ。
名前が売れたのにあわせ仲介業、コンサル業、ネットビジネス、セミナー講師など
いろんなことに手を伸ばした。

そしてZeppのイベントから約3ヶ月後には
『アジア最大の箱』と言われるスタジオコースト『通称;アゲハ』を貸し切り3500人を動員し
日本一のイベンターと呼ばれるようになっていた。

きっかけをくれた環境やビジネスを教えてくれた先輩、ついてきてくれた仲間に感謝し、
「本当に東京に来てよかった」と思ったのと同時に
「地元、福岡をイベントで盛り上げたい」と思った。

そしてアゲハのイベントが終わり、地元福岡で企業することを決意した。

福岡に帰り、21歳の誕生日、
高校を卒業しわずか1年半で資本金500万円で「株式会社PARIST」を設立、
次の月には「BAR PariS」をオープンした。

当時、イベントというイベントがなかった福岡に「博多Life」と言うイベントを立ち上げ、
毎月のようにイベントをやり続けた、

ハロウィンでは福岡最大級のクラブを2店舗も同時に貸し切り2700人動員し
クリスマスではビルの箱を何箇所も貸し切り3000人動員し
バレンタインではZepp福岡を異例のオールナイトで貸し切り2500人動員した。

仲間達とともに頑張り続け「博多Life」はわずか半年で九州最大のイベントとなった。

博多Life創立1年のアニバーサリーイベントでは経費3500万円をかけ、福岡市の後援を得て、
福岡国際センターで大人気モデルや有名アーティストに出演してもらい学イベの枠を超えるイベントとなった。

その過程でイベントというものを たくさんの後輩に教え、数々の有名イベンターを輩出し続けた。





そして今から約1年前、
ちょうど国際センターのイベントが終わった後に、
ついに福岡を離れることを決意した。。。


それはさらにBIGになるために『日本一のDJになる』と決めた。

その日から、スーツを着るのをやめ、
本名の木元ではなくDJ社長と名乗り
イベンターでもなく、ビジネスマンではなく、
エンターテイナーとして活動を始めた。


どんだけ福岡でビジネスで活躍しててもDJとしては無名の新米。

最初はギャラどころか交通費すらもらえなかった。
自腹で飛び回り『たった15分でいいからDJさせてくれないか?』と頭を下げて回った。

誰よりも早く会場に来て準備を手伝い、誰よりも遅く残りスタッフと片付けを一緒にする。
お客さんに自分から話しかけ、自分から写真を一緒に取りましょうとお願いして
きてくれてありがとうと一人一人に伝えて回った。

そうやってまた1から頑張った。

「人と違うDJにならないと」と思ってJ-POPをかけたり下ネタをマイクで叫んだり
あの手この手で人と違うことをやり続けた。

正直、最初はめちゃくちゃ叩かれた

周りのDJに「あんなのDJじゃない」といわれ
スタッフにも「箱のイメージが壊れる」といわれ
お客さんからも「そんな曲じゃ踊れない」だの言われ続けた。

それでも、やり続けた。
自分の名前を売るために体を張り続けた。

テキーラを瓶ごと飲んで話題を産むなら何本でも飲んでやる
火傷しても怪我してもそれが面白いなら全然構わない。


そうやって今のDJ社長がある。


実際、日本各地からしっかり交通費とギャラをもらって出演のオファーが来始めたのは最近だ。
ただ俺の目標は日本一のDJになること、そしてレペゼン地球が日本一のDJ集団になること

だからこそ、こんなところではまだまだダメだ。
来月はオリジナル曲も発表し、新メンバーも公開し
必ず日本中にレペゼン地球の名前を轟かせてみせる。




ただ、

その中で一つだけやらないといけないことがある、
それは1年前、福岡を旅たって放置に放置を重ねてしまった
福岡の仲間たち、メンバーたち、会社の人たち、

自分がDJをやりたいんだって言い出して社長のくせに飛び出した。

僕がいた1年前の国際センターの頃は博多Lifeのスタッフが250人もいた。
福岡の若者もイベント業界も活気に溢れていたと思う。

しかし今、博多Lifeのスタッフの数は10人もいない、、
イベントの数も減りイベントを辞めていく人だらけ、、

「あの頃はよかった」「あの頃は楽しかった」とみんな呟いている。

もう一度福岡に戻り業界を活気付けたい。

そう思ってつい先日、
『福岡に帰る』ことを決意した。


たかがイベントかもしれないが
俺はBIGになりたいと思い上京したとき
イベントしかやることがなかった。

だけど、そのイベントを死ぬ気で誰よりも頑張ったら「会社を立てる」という夢を叶えれた。

今は会社を2社経営して飲食店も2店舗持ち、事業も飲食業とイベント業だけではなく
レンタル業、芸能業まで拡大した。

そしてまだまだ会社をでかくしていく、

そのために半年間は福岡に閉じこもり
会社の基盤をしっかりと作ってくる。

また東京に出てこれるようにがんばる。


 木元駿之介(DJ社長)23歳

『Life Group』最高責任者
『株式会社PARIST』代表取締役 社長
『BAR PariS』オーナー
『DJ BAR エルフ』オーナー
『レペゼン地球』代表

————実績————

【主催イベント】

『博多Life』『渋谷Life』『熊本Life』『Summer Life Fes』『TOM』『リアーマ』『サマーゴットフェス』『キャンフェス』『ハロパフェ』『エルフラ』

【イベントを教え、独立していったイベント】

ー福岡県ー
『papapaparty!!』『九州シェイク』『R3V3』『Awake』『LINK』『絆ALIVE』『爆音ノイズ』『monkey』『StarDust』『HEAVEN』『シャボン』『ジャムス』『seven 7 night』『美男美女の会』『Artemis』『グレア』『ジャック』『P@STEL』『フライングゲット』『ハニフラ』『1C』『HIGHEST』『ERIZA』『ジュネス』『ニュクス』『SPIRITS』『ドンパッチ』『FEU』

ー県外ー
『VIPS(東京)』『silver祭(東京)』『愛知LINK(愛知)』『ルーチェ(熊本)』『UNITY(熊本)』『スフィーダ(鹿児島)』『大阪Awake(大阪)』『わっぜSTYLE(鹿児島)』

計36団体