インドヨガ修行③ 天国のマナリ修行 | あきのポヨポヨYOGAブログ ~相模原淵野辺・稲城市若葉台 ディワーリヨガ*Diwari YOGA*

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たのしく・ゆったり伝統的なヨガをしています。日々のおもしろいこと、ヨガサークルやレッスンのお知らせをかいています。

7/14~7/28の14日間 インドヨガ修行してきた記録を書いています。

今回はマナリ編。




マナリのヨーガニケタンアシュラム


マナリはここね
インドでもかなり北の方
ラダック地方への入口です。

標高は約2,000メートル
7月の気温は最高22℃くらい 朝晩は15℃前後
長袖必須な涼しさ。
山間の小さな街です。イメージ的には軽井沢とかかな。

インドはとても大きいので、暑いだけがインドではないんですね。


ヨガが生まれたのはここよりも北のインドだと言われています。現在だとチベット地方。
マナリよりも富士山よりも標高が高く、荒々しいところでヨガは生まれました。


その北のほうで、スワミ・シヴァラナンダ師の元でヨガ修行をされていた我らが木村慧心先生。その姉弟子である、ラリタ師がマナリのアシュラムのトップを務めていらっしゃいます。


右が木村先生
左がラリタ師


今でこそヨガをする女性は多いですが、ラリタ師の御年齢でヨガの道に入られている女性はとても稀です。ラリタ師は南インドのご出身だそうです。

ラリタ師は普通はインド人だけにしか指導はしてくださいません。木村先生との長年の関係があるので、毎年私達日本人も教えを受けることができます。
有難いの一言です。



女性がトップのアシュラムということもあって、温かな雰囲気。お庭もとても美しく整えられています。

気候の良さ、草花の美しさ、山間の静かさゆえ、「マナリは天国」とみんな思ったはず。特に荒々しいインドに移動してからはマナリを想像して涼しさをイメージしてました(そんなの効かないほど暑かったけど、笑)
マナリはほんとにいい所。




わたしがラリタ師に初めてお会いした時、それはマナリに到着した日の夜でしたが、ピリリとした雰囲気を持ちながらも、とても優しく温かな感じを受けました。
わたしはとうとうインドに来たんだという感動と、ここで教えを受けられるんだという感動で胸がいっぱい。

マナリは7泊。
前後1日は移動日なので、実質5日間です。

そのうち、聖名拝受やヒマラヤへ行く日や午後にお寺さんに行く日などもあったので、終日ヨガ修行の日はあまりなかったんだけど、だいたいこんなスケジュール。


6:30~8:00 朝の瞑想1時間&呼吸法
8:30~9:30 アーサナ(ポーズ)
9:30頃~ 朝食 兼 昼食
10:00頃~14:30頃 フリータイム
14:30~15:00 ティータイム
16:00~18:30 講義&瞑想1時間 呼吸法 アーサナ
18:30~19:30 夜の瞑想1時間
20:30頃~ 夕食


朝と夜の瞑想はラリタ師がお題を下さいます。

マントラを心の中で唱えながら、いずれかのチャクラに集中をするお題が多かったかなと思う。

終わったあとは自由質問の時間もくださいました。



その中で感じたこと。学んだこと。

瞑想は 肉体の浄化 → 心の浄化  と進む
最終的には肉体がここにある感覚は消える

ヨガの八支則に沿って修行することで全て大丈夫

足が痛いとか、集中できないとかも時にはある。それもOK。それでも諦めずに続ける。

瞑想中に浮かんでくるイメージ(色や画像)は集中が進むと鮮やかになる

長時間座るには精神力も必要だが、体力も必要。そのためにアーサナが存在している。

わたしは特定の神への信仰はないけれど、宇宙のパワー(神がかり的なものの根源)を感じながら修行を行うのが大切

瞑想中に繰り返し出てくるテーマ(言葉)は自分にとって重要なテーマである

瞑想中に夢なのか起きているのか分からなくなるのは良い状態(タンドラという)

日々の心の変化(波)は修行を進めることで減る

キリスト教やイスラム教など、ヒンドゥー教以外の信仰のイメージが出てきてOK。信仰と瞑想は別のもの。



言葉でもたくさんの教えがありました。
実際には言葉以上にラリタ師の温かく優しい人間性を肌で感じることができて、素晴らしい経験でした。

わたしは瞑想初日に涙が止まらなくなり、そのままにしながら瞑想しました。この時点では腰も足も痛かった。でもその痛みよりも、感謝の気持ちが上回るんです。

わたしがヨガに出会うまで、いや、出会ってからも色々あったけれど、インドに来れたことで全て報われたような気持ち。それだけフィット感があった。





ヨガはアーサナではなくて、瞑想が最終的に行き着くところだとも強く感じました。

今まで「アーサナ with少しの瞑想」のパターンでたくさんの先生に指導を受けてきたけれど、アシュラムで座っていると、自分が恐れながらその先生方を軽く越えてしまったような感覚があった。

人には上も下もないんだけど、わたしがやってきたことは意味があって、今向かおうとしている道は間違っていない、そんな感じ。


わたしは目指す存在というのが必要みたいで、たびたびそのような方々に出逢い、目指してきたんですが、ラリタ師のような自然体で優しく包み込むような人になりたいとまた新たに思いました。

ラリタ師は10日間の飲まず・食わず・寝ずの瞑想行をされているそうで、わたしはそれは無理だとおもうけど、日々のクラスで指導させてもらうことが修行となるのかなぁなんて思ったのでした。




マナリでは聖名拝受もさせてもらいました。
次回はその様子など書きたいと思います。