「森を食べる植物」 塚谷裕一 | 映画物語(栄華物語のもじり)

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「映画好き」ではない人間が綴る映画ブログ。
読書の方が好き。
満点は★5。
茶平工業製記念メダルの図鑑完成を目指す果てしなき旅路。

 

★★★☆☆

 思ったほど森を食べてない話。

 

 「腐生植物」という植物が存在する。本著は、その「腐生植物」に関する入門解説書のテイである。

 私はもちろん、「腐生植物」という植物が存在することすら知らなかったので、その点だけでも本著を読んで良かったと思っている。本を読む意義の一つに、「新たな世界を獲得する」という点があると考える。その点では、私の中には「腐生植物」という新たなカテゴリーが確固として確立され、自分の世界に広がりをもつことができた。私の世界に、「腐生植物」という新たなフィールドが生まれたのである。

 が。

 いかんせん、本として面白くなかったのが本著の最大の欠点である。

 マニアが書く本の典型のような書物であった。つまり、『食いしん坊万歳』で山下信二が「好きな人にはたまらないんでしょうね~」と言うときは、一般人には口には合わない、不味いと言っているのと同義であるのと、同じである(わかりにくいたとえ)。「腐生植物」が――少なくとも植物が好きな人には面白いのかもしれないが、植物や生き物にさしたる興味がない人間が読んでも「そんなに自分の想いばっかり話されても……」と思ってしまうのである。「映画好き」が一般人に自分の思い入れのある映画について熱く語っている光景を想像すると大体合致するだろう。それが自分の好きな人が話す話ならば楽しんで聴けるが、そんなに知りもしない人に自分の得意ではない分野のことをそんなに熱く語られても……思い出と一緒に話されても……となるのである。

 要約すると、「ブログのような本」であると言える。自分の話でいっぱいなのである。

 「腐生植物」という着眼点が良いだけに、実に残念である。そして、ぱっと見の装丁の割には高額な値段であるのも、なんだかブログを自費出版した人の本を購入したような気持ちにさせられる。昔、前職のときの同僚が自分の詩集を自費出版し、30ページくらいで2500円もして、付き合いで購入するのも断ってしまい悲しい顔をされたときのことを思い出した。でも、吉野弘の詩集が文庫本で500円以下で買えるのに、素人の詩集に2500円出すことは難しいと思うのである(「本を出したい」という自分の夢を叶えた行動力と経済力は素直にすごいと思うけどね)。

 さて、肝心のその「腐生植物」であるが、これは実に面白い存在である。

 「腐生植物」はなんと光合成をしないのである。光合成をしないということは、緑の葉を持たないということでもある。もちろん二酸化炭素を酸素にもしないだろう。そんな植物が存在するの!? という素直な驚きがある。では腐生植物はどうやって生きているのかというと、菌類に寄生しているのである。つまり、キノコみたいなようなものに寄生し、共生しているわけである。

 『森を食べる植物』という書名は、「森の養分でキノコは育つ」→「腐生植物はそのキノコに寄生して生きる」→「間接的に森を食べていると言える」と、素人意見ではそれはちょっと無理がある飛躍じゃね? という由縁から付けられたものらしい。キノコは森を食べているかもしれんけど、普通に考えれば、腐生植物はキノコを食べてるんじゃなくて? と思うのは私だけだろうか。いや、良いタイトルだけに、その点ちょっと納得がいかなかったのであった。この理屈でいえば、人間は地球を食べているということになると思うのだが、まあそうなのかな? 「地球を食べる動物」って、動物はみんなそうじゃね?

 内容は、植物学者である東大教授のフィールドワークのヨタ話的なエピソードが多く、文章的にもそれほど洗練された魅力は感じられないので、それこそブログを読んでいるような感覚である。無料のブログであればそれなりに興味深い内容として読めるのだろうが、一方で、残念ながらブログであったならば私は読者登録をしてまでは読まない分野の話である。そして、お金を出して購入した本であるだけに、期待値はブログよりも遥かに高かった。そこに不満が生まれる要因がある。

 ただ、掲載されている腐生植物の姿形は本当に興味深い形状で、もっと見てみたいなーと思うのだが、腐生植物の写真も思ったよりは多くはない。あんたの思い出話はいいから、もっと植物の解説を写真付きでしてよ! という不満が常に湧き起こりながら読んでいた。

 というわけで、とても興味深い内容でありながら、本の内容自体に不満が噴出するという、なんとも歯がゆい一冊であった。まあ資格試験を終えて読書を解禁し、本に飢えていただけに期待値も高かったのかもしれないが。

 腐生植物ってこんな感じよ~というリンク