無念な思いとどう向き合っているか
それは
そのままその人の目標の向き合いかたに等しいのではないだろうか。
無念な思いにかられるということは
言って見れば
思い通りの結果には至らなかったということだろう。
それはそれで残念なことだろうが、
でもそこで晴れ晴れしい気持ちにもなるのではないだろうか。
甲子園なんかを見てみると分かりやすいのかもしれない。
甲子園で優勝できる高校は一校しかない。
つまり、
ほとんどすべての高校はどこかしらで
無念な思いにかられるということだ。
しかし、
本当にそれは無念だけの思いだけだったろうか。
そこには3年間よく頑張ってきたことや
次の年はもっと頑張ろう
というような気持ちにかられているのではないだろうか。
どこかに清々しさがやどっているのではないだろうか。
なにがいいたいかいえば
一見、無念にみえる結果の中に
清々しい気持ちが隠れているのであれば
それは結果ではない
なにかを求められていたということになるのかもしれない。
つまりは
その目標との向き合い方が
その無念の気持ちに奥に隠れているのである。
きっと、
結果がどうであれ
やりきった、やってよかった
自分自身が納得できる
これが本当は一番大事なのではないだろうか。