■我が国を敗戦させるためにはしょうがなかったという性根
やっぱり引き合いに・・・
↓
久間防衛相:発言に被爆地から怒りの声 一方で複雑さも
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20070701k0000m010128000c.html
(毎日)
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久間発言と先帝陛下のお言葉とは全然意味が違うのに同列に・・
久間発言は、原爆戦略有効論としての「しょうがない」。
陛下のお言葉は、今次大戦で原爆がどこかで使用されることは、「やむを得ない」
流れであったということ。
つまり、大戦中の各国の原爆開発競争の流れから、どうすることもできなかったとの
意味でのご発言であることは、戦中においてさえ、
原爆の脅威を知っておられた事を考えると、
本島氏や久間さんのそれとは全然違うのでありまして
これは例の富田長官の答弁ではありますが、議会にて説明されている通りでしょう。
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で先帝陛下と原爆については、世間で一般に知られているような背景ではなくて
我が国が核開発に関して、実際はかなり進んだ段階まで及んでいたという、
もちろん物理的限界はあったんですが、
当時、主要国が原爆開発競争を展開しており、
そのことについて陛下も詳しく知っておられた。
昭和天皇の「極秘指令」
平野 貞夫
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我が国の核開発については
五島勉さんが調べられているんですが
トンでも風評もあり、躊躇しつつ・・・
↓
『日本・原爆開発の真実』について
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc112.html
一般的なイメージより、我が国開発は進んでいたようで、
ただ実際には、頭脳に物資や体制が追い付いていなかったのは確かでしょう。
理研二号研究阪大分室について
http://www.viva-ars.com/bunko/fukui/fukui-6.pdf
しかし、かなり具体的な可能性自体は否定できないようで
こんな記事も(原爆開発とは直接的なあれはないのですが)
↓
幻の加速器、台湾で復元/72年前に日本の学者が製作
http://202.216.105.26/tokushuu/scramble/scramble2006/20060708.html
(東奥日報)
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事実、核開発の「知」の部分に関しては、
彦坂忠義・荒勝文策・仁科芳雄博士といった世界屈指の科学者が存在し
その論文は「原爆理論のさきがけ」という人もおられます。
ただご本人たちは、兵器利用など考えていなかったようです。
どちらにしろ、戦後の湯川博士の功績などに見られるように
我が国物理学の「知」の部分は最先端であったわけです。
先帝陛下は、仁科博士らに書簡で質問されたり、
研究所で説明を受けておられます。
一般では知られていなかった時にすでに「核兵器の恐怖」を
漠然とした想像ではなく、理論的な説明を元にご理解されていた・・・
これは事実でしょう。
何が言いたいのかというと
久間発言と昭和天皇のお言葉とはまったく次元が違うということです。
我が国を敗戦させるためにはしょうがなかった
と
人類が核を使う事・・はどうしようもなかった
の違い。
それを本島氏なんぞは同列に掲げようとする。