アバタローさんの動画から拾わせていただきました。

精神的に参っている時期から現在に至るまでアバタローさんの作った動画に大変お世話になってきました。
ありがとうございます😭

アバタローさんの経歴
日本最大級のオンライン読書コミュニティBook Community Liber管理人。早稲田大学文学部卒業。趣味である読書の延長として、書評YouTubeチャンネルを立ち上げたところ2020年1月に大ブレイク。現在も自身のチャンネルを通じて、読書の楽しさを伝えることを生き甲斐として、配信活動を続けている。また、2022年4月からは音声プラットフォームVoicyでの配信も始め、活躍の幅を広げる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)  



以下はアバタローさんの動画の内容をまとめたものです。

※聞き流したい方は動画をおすすめします⬇️



怒りについて(幸福を破壊する情念)

怒りとは、あらゆる情念のなかでも最も悍ましく凶暴な情念である

すなわち怒りとは「短い狂気(凶器)」なのである

情念=理性的ではない衝動のこと(憎しみ、不安、嫉妬、怒り)
自分の意思の力ではコントロールし難い心の動きのこと。

★怒りは不誠実で脆くて、信用に値しない。
一方、理性は誠実で強くて硬くて、決して主人に刃を向けない槍のようなものだ。

★自然は人間に理性という十分な装備を与えており、これ以上武器など必要ないのである。

★貪欲であることは完全な悪ではなく、それによって財産が増え生活が豊かになるという良い面もある。
しかし、怒りはただ費やされ失うばかりである。

ある者は、怒りによって周囲の人間が次々と去っていき、またある者は怒りのままに人間達を死に追いやった。

★怒りの原因ではなく、怒りそのものが我々から多くのことを奪っていくものだ。

怒りは、贅沢よりも悪意や嫉妬よりも悪いものだ。

贅沢が求めるのは自分の快楽である、しかし怒りが楽しむのは他人の苦しみである。

また、悪意や嫉妬は相手が不幸になることを望むが、怒りは自らの手によって相手を不幸にすることを求める。こんな危険極まりないものを支配しようと思ってはいけない。

危険なものは支配せず締め出すこと。

関わりを持たず締め出した方が良いのである。

★怒りは一度爆発すると、健全な精神への復旧が困難であり、理性の働きも効かなくなってしまう。

★怒りがこみ上げる瞬間に鎮める
したがって最善の方法は、怒りがまさに今こみ上げようとした瞬間に、まだその波が小さいうちに収めることである。

★そのために怒りが湧き起こる最初の原因、すなわち自分が不当な扱いを受けたという思い込みを捨てなければならない。

★1日経てばきっと真実が見えてくる
明らかに真実であったと思えても、頭にきた勢いに任せて行動するのではなく、時間をおいて待ってみるのだ。

★また告げ口や悪口にも耳を傾けてはならない
なぜならネガティヴな情報は、仕方なくその情報を聞いたとしても、いつの間にかそれを真実だと思い込んでしまうことがあるからだ。

★相手の言動を悪く解釈し、罪なき者に怒りをぶつけたらどうなる?

罰を与えることは、後でもできるが、一度それをしてしまえば、もうとり返しがつかないのである。

あらゆる不正や侮辱に腹を立てるよりも、それを撥ねつけることの方が、どれほど美しいことだろう。

★わざと傷つけてくるような人がいれば、その人は自分より強いか、弱いかのどちらかである。

もし弱い人なら、あなたが許せばよく、強い人ならあなた自身を許せばよい。

★イライラと縁を切る技術
忙しい人間が何事もなく1日を終えることなど滅多にない。誰かのことであれ、仕事のことであれ、声を荒らげたくなるような厄介事の一つや二つ起きるものなのだ。都会の雑踏を急いで進んでいくと、人とぶつかったり足を滑らせたりすることもあるだろう。
それと同時に人生もまた、多くの障害や不満に溢れている。
あなたの期待を裏切る人、あなたの予定を遅らせる人。多忙の中、次々と計画が狂っていくと私達はついに我慢ならず、どうでもいい些細な事をきっかけに怒りのスイッチが入る。
そして自分の力では抑えきれない苛立ちを物にぶつけ、人にぶつけ、そして自分にぶつけるのである。

★心の平穏を保つために大切なこと

自力でコントロールできないことに悩んで心を疲れさせない。
自分の思い通りになるのは、自分の力の及ぶ範囲内のこと。
それ以外のことは大抵上手くいかず、過剰なストレスが加わる。
したがってわ何かを試みる時には、自分の能力と、今自分がやろうとしていることが本当に釣り合いが取れているかを正しく判断することだ。

★もし貴方が今、誰かに怒っているのだとしたら、その苦労は無駄に終わるだろう。
相手に自ら手を下さなくても、どんな罰を望んだとしても、その人物は遅かれ早かれこの地上から消え失せるのである。
ならば、あなたがすべきことは、誰かの怒りの矛先が
自分に向かぬように寛大に過ごすことだ。

どれほど互いに怒り憎しみ合ってもいずれ両者の間に死が割って入り、争いは嫌でも終結をむかえる。

それなのに、反逆者のように騒ぎ立て人生を掻き乱す意味などあるのだろうか?

★運命は私達の頭上にあり、刻一刻と忍び寄ってくる。
どれだけ他人を憎み、死を願ったとしても、それが叶う頃には、貴方にも死が近づいているのだ。

闘技場の見せ物の中で鎖に繋がれた牛と熊が闘う光景を何度も見てきただろう。
大勢の観衆たちの前で、2頭の獣は互いに痛めつけ合う。だが最後にはどうなる?
結局は仕留め役の手によって2つの命は奪われてしまうではないか。
★哀れな闘技場の獣たち
それは正しく私達、人間の姿である。自分と繋がった誰かといがみ合い、常に互いを攻撃し合っている。
勝ったもの、負けたものも平等に死が用意されていることを忘れ傷つけ合い苦しめ合っているのだ。
侮辱され不正を受けて、怒りたくなったら思い出せばいい。
死はいつだって自分の近くにあるということを。


プロフィール
執筆した人物=セネカ 
古代ローマ(ギリシャ)のストア派の哲学者
ストア派とは禁欲主義の哲学。自然や理性に従って生きることを追求する。
他にはエピクテトス、マルクス・アウレリウスなどが同じストア派として有名。




プラトンの弟子で万学の祖と呼ばれるアリストテレスは、怒りを使いようには武器になると有益性を認めていた。
だが、セネカは怒り(情念)は人間が容易く扱える代物ではない。結局は自己破壊(不幸)につながると完全に否定している。