備忘録

ドイツ帝国成立後の1873年に生まれたマックス・レーガーは、1916年に心筋梗塞により急死するまで、主にオルガン奏者、作曲家、指揮者として活動した。自らをドイツ三大Bの正統な後継者として位置づけることを好んでいたらしい。オルガン曲によって名声を得たが、作品にはフーガ変奏曲形式で作曲された作品が多い。
レーガーが生まれた頃、ブラームスはまだ交響曲を書いておらず、ブルックナーは交響曲第3番を書き上げ、2年前にはジークフリートやアイーダが作曲され、2年後にはチャイコフスキーがピアノ協奏曲第1番を書き上げている。
世界恐慌が過ぎ去った後、レーガーが13歳にして教会のオルガニストになった頃にはブラームスは既に交響曲第4番まで書き上げており、ドヴォルザークの交響曲第7番、マーラーの交響曲第1番、グリーグのホルベルク組曲も作曲されていた。ワーグナーは世を去っており、リストも亡くなった。1889年第4回パリ万博の頃、ブルックナーは2年前に交響曲第8番を書き上げており、ドビュッシーはまだ27歳。R.シュトラウスがドン・ファンの成功に続き、死と変容を書き上げた。
1905年にミュンヘン王立音楽院の作曲科教授に着任した頃、サロメが書き上げられた。薔薇の騎士は1910年、シェーンベルクのグレの歌が(長き中断を含んではいるが)1911年。

「モーツアルトの主題による変奏曲とフーガ」は1914年に作曲されたが、第一次世界大戦の影響で初演は翌15年1月となった。レーガー曰く「気品に満ち、俗世の苦しみから解き放たれている」らしいが、弾く方はそれどころではなく、当時の世相を表すかの様に細かく繊細な音符が並ぶ難易度の高い作品である。多国籍、多民族の融合、平和を曲で表そうとしたのかも知れない。

テーマは、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番の第1楽章の主題から。テーマは木管アンサンブルと弦楽によって交互に奏でられる。第1変奏は伴奏が森の中で鳥がさえずるかのように旋律の周りを遊んでいる。途中から高声部に旋律の反行形が第2変奏の予告として現れる。第2変奏はその主題反行形を主軸として、半音ずつ上昇していくオブリガートが乗せられる。第3変奏は拍子を移して主題が奏でられ、リズムの掛け合いがちょっかいを出されているようで面白い。第4変奏はブラームスの(「ハイドン・ヴァリエーション」)パクリそのもの?但し付けられているハーモニーは単純ではない。第5変奏はバス群が隠された旋律、(第2変奏での上昇オブリガートから)半音ずつの下降する旋律を軸に進む。人を食ったかのように何度も急ブレーキが掛かるが、そこも味わい深いところ。第6変奏は宮廷の庭を眺めているかのようなのどかさ。その庭では、子どもたちが花を積んだ籠を腕に、楽しくおしゃべりしているかのように思える。第7変奏は主題が元の形で出現、主題のリズムを入れ替えながら半音で降りていくオブリガートもあるが、この変奏での特徴は(最初はヴィオラ)時折聞こえる臨時記号で下げられた箇所の憂いがかったハーモニー。第8変奏は非常に緩やかな歌。実はこの中にR.シュトラウスの組曲作品4のフーガに出てくる旋律と酷似する部分が有る。気付くのが遅かったなぁ。フーガは気品有る対位法で、発展していった先が、ここまでの変奏と同じく全てを聴き取るのが大変な作品。
 
果たして日曜の本番でどのようにお聴かせ出来るのか、ワクワクドキドキ。