領土問題に関心を持とう(尖閣は大丈夫か) | 元外交官が語る日本社会のあり方

元外交官が語る日本社会のあり方

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ポンペイ米国務長官は、中国による沖縄県尖閣諸島の領海侵入や南シナ海への進出に対し「中国は領土紛争を煽っている。世界はこれを許すべきではない。

 

中國が主権を尊重していると満足に言える隣人は少ない。世界各国が一致して対抗する必要がある」と訴えている。現に中国公船の尖閣沖の領海侵入回数は増々増え その侵入時間は最長を更新するなど、その威嚇ぶりは、軍事色を濃くしており、このまま政府がほって置くととんでもない事態になることが予想される。

 

異常としか言えない。

 

米国の理解は日本にとり心強いことであるが、戦後、日本は専守防衛に徹し打撃力は米国におんぶにだっこしてきたが、今やその時代は過ぎ、日本の自力を見せる時代に入ったとの認識を持つべきである。

これまでのように日本政府の異常なまでの中国傾斜もしくは慎重論だけでまかり通る時代ではない。中国との付き合い方は欧米と共に考え直さねば、日本の国益は明らかに保てない。

 

そして自分の国は自分で守る気概が絶対必要である。

 

ここで外交史を通じて見た日中関係に関し当時の日本の政府の中枢にいたトップがどのように中国を見ていたか、福井由雄三教授の文献から以下引用させて頂く。不肖、筆者も同教授の指摘に全く同感である

 

第2次大隈内閣で外相を務め、国際連盟設立期には日本代表を務め、米国で締結した有名な石井・ランシング協定にその名を残す日本の外交官・石井菊次郎は、排外的狂信グループよる中国の義和団事変を通じて得た教訓について、「中国は外国人の邪悪な点だけを指摘し、自分自身の間違いは何一つ認めず、あらゆる非難を列強諸国に向け、自分自身を何一つ責めようとはしなかった。ここに日本のそれとは異なる中国の特異な国民性がわかる。例えば、中国は外国人に対する原始的な憎悪を超えて近代国家として国際的な義務を守り遂行できるであろうという前提で結ばれた九ケ国条約をめぐり、中国の外交官は、日本はこの条約を侵犯してると声高に非難すれど、中国政府は条約義務を守った試しが無い」と感情と主観を交えず、客観的な視点に立ち中国に対し胸のすくような指摘をしている。自分の非は棚に上げて、他者を非難攻撃する姿勢。恐るべき自己中のエゴ。契約違反と法律無視の徹底した利益追求。公徳心と公共マナーの欠如。繰り返される条約違反と領海侵犯。現在の中国の態度は、80年前の中国と何一つ変わっていない。80年後の今日の中国の現状を見通していたかのような日本の外交官・石井の慧眼は誠に素晴らしいものがあると言わざるを得ないと同教授は高い評価をしているが全く異論のないところである。

 

ここで、外交史上、日本が失敗した外交のケースを上げてみよう。先の大東亜戦争において、言語に絶する重大な人権侵害であるユダヤ人大虐殺を行ったナチスドイツの緒戦の勝利に目がくらみ日本がドイツと手を結んだ結果どうなったか。英米を敵に回し、結局は日本の敗戦である。今また、ウイグル族やチベット人などに対して思想改革などの人権弾圧が行っている、更には、香港においては基本的人権の自由が安保法により奪われ、自由を希求する香港人の生命の危険さえ保障しない中国に政治外交上、日本が傾斜することは、日本が努力して築き上げてきた米英欧との良い関係にひびが入る危険性があり、先の大戦同様の間違った選択をして誤った歴史を繰り返すことになりかねないことを親中派族は気づくべきである。日本の悠久の歴史上、聖徳太子 あるいは菅原道真は優れた外交感覚に基づき脱中国の策をとり、結果として豊かな独自の日本文化を形成し得たことを想起するべきであり、また、他のアジアに先駆けて近代化に踏み切った明治維新において、福沢諭吉が脱亜論を著述したことは、歴史上の知識人が中・韓をどう見ていたかを示す良い証左であり、現代に生きる我々が学習すべき視点である。

 

ところで、日本の国益を害する傍若無人な振る舞いをしている中国のトップを国賓で招待しようとしてきた政府に対し、自民党外交部会などが彼の国賓招待中止要請を出したところ、案の定、親中派幹事長がこの提案に反発したとか。

 

天安門事件後、日本政府は自由、人権という基本的人権より対中支援に走り、膨張主義の中国にしてしまった先人の誤りが今の日本を苦しめてるという認識が何故持てないのか。外交部会などの決定は正しいし、国民に受け入れらると確信する。加えて公明党が環境が整ったら国賓招聘をと言ってる。これも全く理解に苦しむ発言である。個人的利害あるいは自分の組織の利益に基づく発言としか思えない。

 

歴史上、日本国の威厳を示し毅然と中国に対処し、脱中国に踏み切った聖徳太子や菅原道真のような優れたリーダーの存在がうらやましきかぎりである。とにかく国民の貴重な税金を使って国賓招聘する価値があるのか。

 

政府は、友好国米英欧とも十分根回しをして、もう一度立ち戻って考え直すべきである。日本の歴史に汚点を作ってはいけない。事情変更の原則により十分断る理由があると思料。断れば、中国特有の恫喝あるいは尖閣を国有化した際に見られたのような狂気じみた反日が起きるかもしれない。日本の政治家の胆力が試されようし、誇り高き日本国民は毅然として対応すべきである。世界の良識ある諸国は日本の対応に理解を示すであろうし、歴史がその正当性を示す確信する。

 

冒頭に述べたように、コロナ騒ぎを逆利用して強化されている中国の尖閣侵入、あるいは南シナ海、東シナ海の内海化(要するに軍事化)はいずれも国際法違反であること明瞭であり、フィリピンが国際仲裁裁判所に提訴したケースでも、中国は同裁判所が出した違法且つ無効判決を一片の紙切れと無視したことに見られるように近代社会にありえない非近代的対応であり、到底許されるものではない。とは言え、中国は尖閣奪取作戦、すなわち大量ミサイルを短時間に日本列島に発射して米軍が来る前に日本を降伏させるという作戦を計画しているという米軍からもたらされた情報に基づき、日本政府はようやく南西諸島方面の防衛に力を入れ始めたものの、何せ防衛費は少なすぎる。多数のミサイルを所持していると言われる中国に果たしてこれで戦えるのかという問題に突き当たる。

 

政府、国家安全保障会議、防衛省、財務省、外務省など十分情報収集の上、強力な日米協力を踏まえ、日本という国を如何にして中国から守れるか政府・関係機関の真摯な検討と早急な実施が期待される。国破れて山川ありにならないために。

 

政治は国民の生命安全を守るのは当然としても、まず日本という国を守る義務があり、議員は組織防衛や選挙だけに力を注ぐのではなく、特に政権担当の政府・与党議員は身を犠牲にしてでも国を守るという言う矜持を持って迅速に政策決定して貰いたいものである。