写真① SSポリティシャン号


 In 1941, the SS Politician ran aground./Whisky Galore.Part.1


 イン・1941, ザ・エスエス ポリティシャン・レン・アグラウンド/ウイスキー・ガロア


 1941年 SSポリティシャン号 座礁事故/ウイスキーがどっさり。 




 1941年2月3日、リヴァプール港

 第二次世界大戦の真っ只中、U.K.リヴァプール港から、行き先は、U.S.A ニューオーリンズをへて、ジャマイカのキングストーンに向う貨物船SSポリティシャン号。

 写真①のSSポリティシャン号 
 SSポリティシャン号は、U.K.の貨物船で、トーマス・ジェームス・ハリソン社が所有する船で、SSは、スチーム・シップの略で、蒸気タービン船を意味する。ポリティシャンとは政治家を意味する、蒸気タービン船・政治家と日本語では訳される。

 全長=137m(450フィート)
 全幅=17.7m(58フィート)
 8000トン級
 14ノットの性能で当時としては優れた船になる。
 
 U.K.は、第二次世界大戦に金銭的にも苦しんでいて、U.S.Aだよりのところがあり、輸出で戦時費を稼ぐことが重要であった。そのために貨物船での輸出は大事だった。
 荷物は、綿、タバコ、食品、医療品、モーターサイクルの車輪、石油ストーブなど雑多であったが、今回は、貴重品の22,000ダースのスコッチ・ウイスキーがあった。264,000ボトル(本)の有名ブランドのスコッチ・ウイスキーを積んでいた。

 SSポリティシャン号の通常の航路は、リヴァプール港を南下し、フランス沖を航行し、イベリア半島のスペイン・ポルトガル沖に向かうのが普通だが、第二次世界大戦中で、この海域はドイツ海軍のUボートの支配下にあった。Uボートは、戦艦よりも貨物船を1番多く沈没させていた。




 U−BOOT(ウー・ボート) 

 ドイツ語では、ウーボートと発音する船は、主に、第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期にドイツ海軍が保有する潜水艦の総称で、潜水艦の名称ではない。
 潜水艦は、U-何番と、型番で名付けられていた。
 なのでドイツの潜水艦は、すべてUボートとなり、その性能は対戦国が恐れる性能を誇っていた。

 このUボートがこの海域に潜水艦が転回していたのでU.K.の貨物船は航路を変えていた。



 SSポリティシャン号は、北上し、イングランド沖を通り、イングランドとアイルランドの間のアイルランド海を北上、ヘブリディーズ諸島(古ノルド語)では『南部の島』という意味で、ゲール語では『異国の島』を意味した島だ。ノルドとゲールでは文化圏が違うことの証明でもある。



 ヘブリディーズ諸島の最南端(地図の右側)アイラ島から、ミンチ海峡を北上するコースが予定航路だった。

 ※ちなみにアイラ島は、アイラ・モルトで有名なピートと呼ばれる(泥炭)、石炭の一種で植物由来の泥の油で乾燥させれば燃料になる物質が多く、アイラ・ピートと言われ、ウイスキーのモルト(大麦)の成長を止めるための燃料として用いられ、アイラ島のスコッチ・ウイスキーには、なくてはならない物だ。アイラ・モルトには、このピートの独特なスモーキーな香りと味がつく。
 アイラ島には8つの蒸溜所があり、ウイスキーの聖地の1つである。  




 1941年2月4日(夜)

 ヘブリディーズ諸島の南端に差し掛かったSSポリティシャン号は、戦時下で灯台の明かりを落としていたため、船の位置がはっきり掴めず、航路確認が出来ないうえに、強風により、コースを外れて航行していた。



 写真は、ヘブリディーズ諸島の島と海岸線。



 1941年2月5日(午前中)

 悪天候と視界不良で航行側の困難のなか、ビーコンズフィールド・ワーシントン船長と51人のクルー(乗組員)たちは、難しい航行を強いられていたが、薄明かりで近くに陸地側の観えたので、慌てて船を沖合にむけた。
 


 この場所が、エリスケイ島沖だった。
 SSポリティシャン号は、エリスケイ沖の岩礁に乗り上げてしまう。
 船体は亀裂で割れ、エンジンは停止した。
 エリスケイ島の島民が座礁事故に気づいたため、クルーたち全員は、島民たちに救出され、全員無事だった。





 SSポリティシャン号のビーコンズフィールド・ワーシントン船長と、クルーたち全員が助かったのに、この座礁事故が歴史に残ったのかというと、積荷の貴重品である有名ブランドのスコッチ・ウイスキー、264,000ボトル(本)が関係してくる。


 座礁事故は、この後、小説になるほどの展開を迎える。





 Compton Mackenzie
 
 コンプトン・マッケンジー

 Sir Edward Montague Compton Mackenzie

 エドワード・モンタギュー・コンプトン・マッケンジー卿

 1883.1.17〜1972.11.30

 ウェストハートルプール・ダーラム郡イングランド出身。

 俳優・作家・ジャーナリスト・政治活動家。

 スコットランドのナショナリスト(独立派)として有名で、スコットランド国民党の共同創設者。

 彼の小説で、



 写真は、初版本。  

 Whisky Galore

 ウイスキー・ガロア

 ウイスキーがどっさり!(直訳) 

 があり、このSSポリティシャン号の座礁事故の顛末を小説にした。後に映画化され、なお、リメイクされた。



 ※続きはPart.2を読んでください。
 僕は、ウイスキーが好きで、飲むウイスキーと、コレクションするウイスキーを集めています。ウイスキーに関する実際あった伝説をドキュメンタリーの形にしました。