雑談 #46 死ぬための準備をする どうなの?とGINは思う。 | 霊能者GIN(銀) 渋~く効くSixth Sense Blog + Thailand Life

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バンコク在住 タイ情報や霊能者GIN(銀)視点のちょっと斜めな考え方など書いてます。相談役・悩みの整理屋。 
座右の銘:飛ぶ鳥は先ず歩くことを学ぶ  
霊能者の力はレントゲンみたいなもの。 ご相談からも勉強させていただいてます。ご縁に感謝

いつもご覧いただきましてありがとうございます! 
  
色んな年代によっても変わると思う。 そして自殺大国である部分からの延長上にもあるような気がする。 簡潔に。 深い話じゃないと思うけど雑談として書いておこうと。
人生はなんのため? 命は何?  きっとそういうことだとも思う。
 
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こうした仕事をしてると ギョッとするような相談内容もある。
 
自殺したい 人生を放棄したい
 
それに対して どうアドバイスするか? 返答するか?
 
・・・ そんなことを事前に用意している訳もない。
 
 
GINは常にぶっつけ本番  その瞬間瞬間に考えるし
 
視る という霊視から話をする。
 
 
事前に準備なんて一切ない。
 
だから そういった思いを告白されると 
 
一瞬 GINが気圧されそうになる。
 
 
でも 考え方とか 人生大事に とか 命って大事とか
 
そんなことを説こうなんて全く思わない。
 
霊能者が目の当たりにする 生きる ということ
 
亡くなっている ということ 
 
そこから得た思いや考えについて話して伝えてみる。
 
もちろん 気に病んでいる事を掘り下げることで 
 
命を楽しむ為の障害を探せ得ることもある。
 
 
 
自分が死んだときに迷惑をかけないように
 
終活もそう 孤独感を感じた時など
 
居なくなるための整理をする というものなどね。
 
 
日本人らしい としか言いようがない。
 
 
 
いつも思うし引用してしまうのだけど
 
インドの教えを知っているだろうか?
 
 
ちなみに日本では
 
”人様に迷惑をかけてはいけない”
 
”相手に快く過ごしてほしい(おもてなし)”
 
 
 
インドでは
 
”あなたは他人に迷惑をかけて生きていくのだからあなたも他の人を許しなさい”
 
”人(他人)を大切にもてなしなさい。でも家族(身内)の事は何よりも優先しなさい”
 
 
どれが正しいわけではないけれども
 
他人のことを考えすぎるのも良くないと思うのですよ。
 
 
サービスとして他人のことを思いやるという意味では必要
 
でも自分の人生を楽しむ という意味では
 
他人の為に生きているわけではない。
 
だから 自分が最優先でいいし 身内である家族や 家族と思える間柄の相手に対して自分の次の優先度で考えてあげるべきで 赤の他人を優先するということは 自分も身内も もしかしたら何かしら犠牲にしている 後回しにしている という様にも考えられるしね。
 
 
人生を楽しむ  生涯を楽しむ
 
この 楽しむ という言葉を勘違いしている人も多いのでは?
 
楽しむ 愉しむ という漢字のあてはめが誤解を招いている
 
と思う部分がある。
 
 
楽しい事だけが人生で起こったら これほど退屈で 心の高揚もない 抑揚もない 平坦で退屈な一生だろう と思う。
 
苦しいことを知るからこそ 楽しいこと 幸せだと感じれることを含めて たのしむ と言っている訳だから。
 
 
今のSNS(ブログ等)は輝いたパワーに満ちた情報 写真が多い。
 
アピールによって、周囲の反応にやる気が持てる。
 
承認される快感に アピールが続き輝いているように見える。
 
楽しんでいる 部分だけしか自分でも見なくなる。
 
人生を たのしむ ことを見失ってしまう。。。
 
自暴自棄になる  落差にストレスを感じる 本当の自分を見失う
 
これも現代病だな と思う。
 
 
 
人間は 多少なりとも他人に迷惑をかけて生きる生き物
 
思いやり は それが過ぎれば ただのストレス 
 
GINはそう思う。。。
 
 
 
私がもし居なくなっても 誰も悲しまない
 
 
寂しさや孤独感からそう思えてしまうかもしれない。
 
 
あなたは他人の為に生きているわけではない。
 
あなたは 自分の為に 生きている。
 
 
そして生きているうちに 自分の存在価値を知ろうとしても知れるわけがない。
 
自分の為に生きているのだから 存在自体が価値ではなくて当然で自然な事だと思うのですよ。
 
ただ それだけだと自信が持てないから 他人からの評価を聞くことで 安心材料がほしい ということだと思うのです。
 
そこに他人から必要に思われていること 承認されたり求められたりすることで 自分の存在価値の指標を見いだせるからこそ イイね の数だったり 友達の多さ(FBなんかだととりあえず繋がりますみたいな関係) で数字化するんだと思う。
 
 
 
確かにそれは大切。
 
独りぼっちの社会ではないしね。
 
人と人とはつながってこその社会。
 
 
人間は一人では生きられないように 社会が成り立ってるから。
 
 
でも今 生きていられることで 必ず誰かとのつながりはあるはず。
 
ただそこに 自分の心が開けない という邪魔があると思う。
 
 
 
心の扉を開けるように  などという努力を強いるのは
 
何故できないのかを理解して挙げられていないことだとGINは思うから言わない。
 
 
ただ一つだけ 努力してほしいことがある。
 
新体験できるような環境に出かけてみる ということをしてみてほしい。
 
 
そんなことをしても独りぼっちだ と思うかもしれない。
 
 
でもね。みんな同じ。 出会いや人との縁なんてそんなにたくさんあるわけがない。 ほんとみんな同じですよ。
 
昨日までの自分が突如として今日から変わるわけが無い。
 
 
だからね。
同じ環境で しかも自分が居やすい場所にいると 閉じこもってしまって環境が変わらない、自分から殻に閉じこもれる環境に身を置いているわけだから 思い切って近場に散歩からでもいいから 環境を変えてほしい。
 
絶対変わるから。
 
もちろん 即 ではない。
 
続ける必要はある。
 
でも 絶対変わる!
 
 
 
どうせ準備をするなら 楽しく人生を過ごせる準備をしようよ って思う。
 
死ぬための準備って 楽しい?
 
 
残された人に迷惑をかけないように も多少は必要。
 
でもさ  誰かしらにフォローされて生きてるのに 死ぬときはちゃんと死に際をしないと行けない なんてタダの風潮 流行りだと思う。。。
 
 
もちろん 渦中 金銭的問題や物品の処分には目をつぶろう なんて言っているわけではないよ。
 
ただね。
 
 
生まれた瞬間から 死に向かって生きてる生きとし生けるものの頂点として人生を進むわけでしょ?
 
成長している間は 楽しかったのにね。
 
いつから 自分で 自分の 天井作ったの? 見てたの??
 
 
習い事がいい
 
勉強がいい
 
達成できる努力目標を作る
 
 
そういうことは大事。
 
 
でも知らぬ間に 自分で限界を作って
 
フタ という 天井を見ながら過ごしてきた時間がながければ長いほど 目標や新しいことをやったって 続かないし 達成も出来なければ 何か得ることだって難しいですよ。
 
 
そういう意味でね。
 
錆びついた  アンテナ とか 感覚 を
 
磨いてほしいのです。
 
新しいことと出会ってね。
 
そこに多少なり 辛抱は必要。
 
でも環境に変化を与えることで 必ず変われるから。
 
 
自分が死ぬために 辛抱して片付けや整理する努力ができるなら
 
その努力の方向性をね
 
少しだけ向き 変えるの。
 
環境が変わらないかなぁ~ って思って
 
普段のルーチン化された行動に変化を与えて
 
少しだけ 環境に刺激を与えるってことです。
 
 
続ければ変わる。
 
そして 見えてくる 目標の作り方
 
やる気も湧く
 
 
挫折しても良い。
 
 
 
楽しめる努力は そうやってやっと
 
自然になる。
 
 
そう思いますよ。
 
 
 
様々な年代における終活
 
様々な条件による終活
 
大事かもしれない。
 
でも 度が過ぎたらタダのストレス
 
つまんない。
 
 
人は楽しむために 生きている。
 
 
そういう考え方も 必要かと思いますよ。 
 
 
 

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました。
 
 
 
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