日本に夫婦で帰る時に必ず行くのが天婦羅屋だ。

特に決まったところがある訳ではなくネットで調べて評判のいいところをその時々で試している。

予算はかなり割いていると思う。日本にいた時はてんやの常連だったってのに私も成長したものだ。

 

その時行った天婦羅屋は日本橋にあった。新年まであと数日。その界隈のほとんどの会社が既に仕事納めが済んでいると見え、こじんまりとした店内には私たちとあと一組のカップルのみであった。

 

目の前で次々と揚げられていく天婦羅。思いもかけない材料を使ったりして我々の舌と目を十分に楽しませてくれた。最初は幾分緊張気味だったスーさんだが食いしん坊魂は健在、しめの天丼まで完食し、お茶を飲みつつ膨れたおなかをなでさすった。

 

そういやその天丼の時、スーさんが茶碗の中にご飯粒を撒き散らしたままご馳走様したので叱ったんだ。

最後の一粒まで綺麗に。それが作った人への感謝の現れ。ほらご飯粒かき集めなさい!と指導したら隣の男性から「いやあ、本当にそうです」と賛同を得ていい気になった私。

どんぶりじゃなくてご飯茶碗のサイズですよ。当然綺麗にいただくのがエチケットです。


ちなみにそのお店、天婦羅を揚げるご主人と彼の補助を務めるスタッフ。おそらくご隠居であろうやや老齢のご主人。そしておかみさんの計4名で切り盛りしている様子であった。

 

お勘定を済ませ、帰る身支度をしている時ふとひらめいた。

「天婦羅美味しかったんだし何かお礼の一言日本語で言ったら?」

「えー?えーーー!」

最初は戸惑っていたスーさんだったが最後には腹をくくって大声で言った。


 

オイシイ ドーモアリガト」



あー、そこは「美味しかった」。過去形だよー、と思う間も与えず



 

どおうもありがとうございます


4名の従業員の皆さん、綺麗に揃って体を90度に折ってお礼返し。

神、降臨、にひれ伏す庶民のような、それはそれは丁寧なお辞儀であった。

 

過去形、現在形。そんなもの会話においてはささいなこと。

要は伝えようという気持ち。

そしてその気持ちに混じり気がない分、ちゃんと向こうに伝わるものなんである。