5年前、入荷してきたNSbikes6台を組み立てていて、ちょっと一休みと思い椅子に座ったときに揺れが来ました。
はじめは細かいゆれで大した事なかったのですが、そのあと今まで経験したことの無い大きな振幅の横揺れが来て、うちの店の内部は全て破壊されました。
なんとゆれが終わるまでの間に、伊織が店に逃げ込んできたんですよ。揺れの中自転車走らせて。
揺れが落ち着いたあと、建物からみんな外に出ていてこわばった顔をしていた女性が多かったのを覚えています。
そのうち隣のおっさんが携帯でテレビを見ていて津波が来ていることを知りました。
しかし、それはそのときの私には他人事で自分と自分の家族のことを考えるだけで精一杯でしたね。
次々と来る余震、電気も何もかも止まっている状態でもうすぐに来る夕闇、どうすればいいんだと考えていました。
私は会社員ではありませんので、同時に今後の仕事についても考えました。
こんな状態では半月は仕事にならないだろう。その間どうやって暮らすのかと。
でも、そんな場合じゃなかったんですよね。店と言う店が営業できず、金があっても使えない状態になってしまったんですから。
幸いにもうちの店は地震から1日ちょっとで電気が復旧してすぐに夜の暗さから開放され、テレビで情報を得、水道を使うことが出来てトイレも普通に使えるようになりました。
そのおかげで13日からは営業を再開でき、コンセントを貸してあげることも出来ましたし、水をわけることも出来ました。
はじめは店としての機能だけでなく、人と人をつなげる場としても結構利用されてました。

地震が起きて数日後には被災地に自転車を寄付して使ってもらおうとモトクロスインターナショナルが呼びかけたので、在庫をほぼ全て販売してやることが無かった私はお手伝いをすることにしたのだったのですが、開や伊織、服部をフル活用して自転車を組み立ててもらったんでしたね。写真を見て思い出しました。

その後女川や歌津にも自転車を寄付するお手伝いをして色々沿岸部の被災状況を見ましたけれど、ただ津波がどれほど凄いのかを知ることになりました。

今でも思い出すのは全てを失ったときの恐怖と諦め、しかし生きていかなければならないのだと言う現実でした。
今では普通に何不自由なく生活してますけれど、5年前はどうしていいのかさえ分からない状況だったんだなとふと思い返しました。