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土沢館あるいは土沢城とも。山形県の方から流れてきた荒川が平野に出る少し手前の関川村西端、左岸の山地の端にある。尾根の末端を加工した連郭式山城で、麓からの比高は30メートルほど。

鎌倉時代に荒川保の地頭に任ぜられた河村義秀を祖とする土沢氏が構えた城と考えられているらしいが、詳しいことは分かっていないようで、本格的な調査もまだのようす。


翌々日に南会津でオフ会に出る予定なので米沢方面に向かっている途中、道の駅で休憩していてこの城を見つけ、GWに入ってからずっと痛んでいた膝の調子が少し良くなったので、比高小さめのこの城で試運転することにした。

なんちゅう動機だ…😮‍💨

 

土沢の集落の中を突っ切ると道が細く曲がり角や急坂もあるので、国道290号を少しだけ南に行ったここ(→Googleマップへ)を入り、鍬江沢川を渡ってすぐに北に向かうと比較的広い道なりに城の前まで行くことが出来る。

 

現在位置(Googleマップで)

城への登り口は、林道の上り方向右手を流れていた沢が左手に渡るあたりの、このカーブの右側になる。

近くに駐車できそうなスペースもあるが交換場所かも知れぬ。

  

森に入ると道はなく、下草というかササや灌木もある急斜面。

すぐ上に、屏風のような土壁が現れる。これが城の南側の切岸。

 

一見どこに向かって登ったら良いか分からないところだが、左側の主郭下は高さがあるので避けて、より低い右側直へ向かって斜めに登ってゆく。

土壁の直登4メートルほどで、尾根から3メートルほど下の帯曲輪に登りつくだろう。

切岸加工がしっかりしていたようで、尾根側はホントに土の壁😮

 

ここはササなどを掴めばどこからでも登れるが、帯曲輪の西の端から土橋のようなものが登っているので、ここを見つけられれば上の曲輪に歩いて登れる。

 

登りついたところは、主郭から南東へ伸びる尾根の直下に広がる曲輪の中央やや西寄りらしい。

西の方が主郭だが、まずは反対のほう、城の東側末端へ行ってみる。

 

曲輪の東端は、腰ぐらいの高さの土塁で終わっていた。

 

下の急斜面は右側がわりと緩くなっているのでここから降りると、まばらなササに覆われた帯曲輪だか空堀だかが横たわっている。

 

ここ、北へ進むと完全な竪堀状になって、麓へ降りているように見える。

 

今はその先が民家なので、ここから降りてはいけない。

さて、この帯曲輪だか空堀の下には、細かいながらハッキリそれと分かる畝状竪堀群が入っている。

その場に立てばハッキリ判るのだが…

相変わらずのヘタクソが…😮‍💨

 

 

この畝状竪堀群は1本々々が人がやっと通れるぐらいの幅で、東側から登ってくる寄せ手を上の曲輪から迎撃するときに、曲輪に向かって一列縦隊にさせて各個撃破出来るようにしているのだろう。

上の曲輪までの傾斜が急だし守備兵が身を隠す土塁も据えられているし、目立たないが恐るべきキルゾーンだ😨

 

城の東側の備えを見たので、戻って主郭の方へ💨

 

すぐに主郭の盛り上がりが見えてくる。

けっこうな迫力😮

 

裾には、真ん中に島のような盛り上がりのある、…コレは堀切か…?

 

いや北の方はしっかり掘り下げられている。

 

南端を小さな土橋で渡るらしい。

 

さて主郭へ登るルートがどこにも見当たらないが、三点支持を駆使しての直登をバリバリこなせる人なら、堀切南端の土橋からそのまま斜面の縁の小尾根状を立木に掴まって登ることが出来る。南の切岸がバッサリ切れ落ちて高度感があるので注意。

それがムリと思ったら、北の方に神社への参道らしい道の跡がある。

但し初夏〜晩秋までヤブが深いだろう。


まずは堀切を北に少し降りてゆくと、麓の方からヘアピンカーブを描いて主郭の方へ登ってゆく道の跡が見えてくる。

 

ここへ入ると、主郭の奥の方に向かって北辺を斜めに登ってゆくようになる。

 

主郭の手前側に登るのであれば、写真で左側に見えている二本の杉の木の間から踏跡が登っているので、入ってゆくとジグザグに登って主郭まで行ける。

ここは枡形のようにも見え、往時の動線であったかもしれぬ。

 

道の跡をなおも進むとヤブの急斜面に消えているように見えるが、直前の谷側にコンクリの廃階段が見えてくる。

 

チェックしたところではグラグラとかでは無かったので、これを登ってゆくと主郭の方へ大きくカーブして、そのまま主郭まで登っている。

 

 主郭は、奥行きが50メートルぐらいあって、思ったより広く削平もシッカリしている。5月初旬という時期も幸いしてか、シダのヤブもそれほど濃くはない。

 

北東の端へ登ってくるバンド、上から見おろすとホントに道のよう😮

 

北西の端に、立派な神社らしい建物が…😮

なんか忘れられてそう…💦

 

だが、北の方から戦国の城にそぐわない立派な道が登っていたところを見ると、かつてはけっこうな人が訪れていたのだろう…

 

主郭の最奥には、盛ったのか削り残したのか、立派な土塁が走っていた。

 

そして、土塁の低くなったところに踏跡があったので、登ってみる…

木が境界標を呑み込もうとしてるというか、境界標が食い込んでるというか…

 

そして、登った先…

 

うわぁ〜🤯

 

そこには、差し渡し30メートルぐらいの間に2条の堀切を刻んだ、巨大な二重堀切が横たわっていた。

この城随一の見ものだ✨

 

南側だけでなく、北側へも断面を変えないまま降りている。

 

手前の土塁も断面の鋭さがエグい😨

 

二重堀切に高い土塁で城の内外をキッチリ仕切り、寄せ手の射撃が城内に届かないよう守っている。

この城が晒されていたプレッシャーの強さをひしひしと感じられる絶景だろう。

さて、時間も押しているし膝も大事にせねばなので、こんな所は降りられない😅

引き返すっ💨


ここは巨大な二重堀切もさることながら、反対側の畝状竪堀群まわりとセットで見るのが興味深いだろう。

これらに比べると地味だが、南側をはじめとして切岸加工もしっかり施されており、小さいながら手堅く守っていた城だろう。

 

★土沢館

新潟県岩船郡関川村土沢

林道の登城口付近に車を置けそうなスペースはあるが…城内は道や案内等一切無し。

山城(登城口からは比高20m)

 

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(2024年5月17日 記)