11月13日(日曜日) ブログ休止2日目。
この日はミナミに行きました。
そして、この日は機嫌がとても悪かった。
いろいろな事にイライラして、何かあったらケンカを売りそうな感じでした。
精神的にしんどくなっていることが、自分でもわかるほどだった。
もちろん出来るだけ笑顔にして、平然を装い、何もなかったですが…。
気分転換のため、お昼ご飯は、いつもと違うものを食べようと、ミナミに出掛けました。
思いついたのは『チゲ鍋』でした。そして、定食屋さんのチゲ鍋を食べに行きました。
チゲ鍋…
お値段860円(税込み)でした。キムチ、チヂミ、サラダ、ご飯が付いていました。
七味唐辛子を入れて、食べるチゲ鍋は辛くて、発汗作用があって、汗だくになりました。
最後は、残ったお汁に、ご飯を入れて雑炊のようにしていただきました。
これが美味でした。
少しは機嫌が直って、いつもの僕に戻りました。
お昼ご飯を食べた後、法善寺横丁、法善寺の水掛不動さんに行きました。
法善寺 水掛不動さん…
法善寺の水掛不動さんに行くと、思い出す歌があります。
それは…
♪「 月の法善寺横町 」
作詞 十二村哲 作曲 飯田景応 唄 藤島桓夫
<1番> 庖丁一本 晒にまいて 旅へでるのも 板場の修業
待ってて こいさん 哀しいだろが ああ 若い二人の 想い出にじむ法善寺 月も未練な十三夜
<セリフ> 『こいさんが私を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは
「藤よ志」に奉公に上がった晩やった。早う立派な板場はんになりいや言うて、
長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ。
あの晩から私(わて)は、私はこいさんが好きになりました。』
<2番> 腕をみがいて 浪花に戻りゃ 晴れて添われる 仲ではないか
お願い こいさん 泣かずにおくれ ああ いまの私には 親方はんにすまないが
味の暖簾にゃ 刃が立たぬ
<セリフ> 『死ぬ程苦しかった私らの恋も、親方はんは許してくれはった。
あとはみっちり庖丁の修行を積んで一人前の料理人になる事や。
な、こいさん、待っててや。ええな、こいさん。』
<3番> 意地と恋とを 庖丁にかけて 両手あわせる 水掛不動
さいなら こいさん しばしの別れ ああ 夫婦善哉 想い出横丁法善寺
名残つきない 燈がうるむ
<藤島桓夫>
昭和2年大阪市に生まれる。昭和20年旧制大鉄工業学校(現阪南大学高等学校)卒業。
大阪中央電話局入社。昭和25年歌手デビュー、「初めて来た港」「お月さん今晩は」など
ヒット曲続く。 昭和35年「月の法善寺横町」一世を風靡する。
平成4年日本レコード大賞「功労賞」受賞。平成6年2月没。4月勲4等瑞宝章受賞。
「法善寺横丁」と唄の「月の法善寺横町」とは文字が違っている。
歌碑は「横町」をつかい、通りの名は「横丁」を使っている。
僕が生まれる前の歌。しかし、よく聞いていた記憶があります。
板前さんと親方の娘さんの純愛の歌です。古きよき時代の恋愛です。
法善寺横丁には歌碑があります。
法善寺の水掛不動さんは、大阪の観光スポットなので、たくさんの観光客の方がいました。
しばらく法善寺横丁界隈を散策してから、自宅に向かいました。
その後、僕が怒り爆発させる事が起こってしまいました。
ある人と些細な事で口論になって、くちゲンカになりました。
僕の気持ちが伝わらず、悔しくて、腹が立ちました。
さらにイライラして、しんどくなって、悲しくなってしまった僕…。
何だか家に帰りたくなくて、でも行くところがなくて…
誰かに聞いてもらいたくて、でも話せる人がいなくて…
自分でもどうしていいかわからない…
どうしようもないので、街へ出て、夜の街を彷徨いました。
夜の街を彷徨っていると、少しは気持ちもクールダウン。
気が付くとお腹が空いていて…
餃子の匂いがする方へ歩いて行きました。
すると、餃子の王将がありました。
今日の晩ご飯は餃子にしよう!そう思いながら、餃子の王将のドアを開けました。
王将で晩ご飯…
餃子の王将のメニューを見ると、天津飯と餃子のセットメニューがありました。
天津飯と餃子、スープ、唐揚げのセットで780円(税込み)でした。
何だか生ビールも飲みたくなって、2杯飲みました。
僕の怒りは少しだけ治まりました。しかし、今度はだんだん悲しくなった僕です。
僕の気持ちと正反対に、クリスマスのイルミネーションが煌く明るい夜の街を歩いて帰りました。
この日は、自宅に帰って、静かに眠りました。
お風呂に入ると、生ビールの酔いが、まわってしまった僕でした。
つづく…



