最近は、夜に絵を描かないと寝られなくなっている。
 
子供が寝るのが大体9時。そこからカウンターの椅子に座って、24時位まで描いている。
 
いつも終わるとクタクタで、ぐったりしながら筆を洗って片付けて布団に入る。
 
息子はまだ夜中に何回も起きるので、自分も本当は早く寝ないと体力が持たないと分かっているのだけれど、どうしても描いてしまう。
 
案の定夜中は何回も起こされて、睡眠時間はどんどん減っているのに、不思議なことにちっとも苦しくない。描く前は今より睡眠時間が長かったのに、起こされると「寝足りない」と苦しかった。
 
今の自分は、小さい頃に戻ったような気がする。たくさん運動するとぐっすり眠れていて、それがあたりまえだったようなあの感覚。運動ばかりしていたから「疲れて眠る」のがあたりまえだし、そういうものなんだと思っていた。
 
社会人になってからは、脳みそばかり使っていて身体を動かしていないからなのか、ぐっすり気持ちよく眠る事はなくなって。小さい頃はあんなに気持ちよく寝てたのになぁなんてずっと思っていたから、今のこの状況にとても驚いている。
 
描くことによって、ストレスがだいぶ減っているんだなと思うし、アートってやっぱりスポーツなんだなと。いつも終わってから喉カラカラだった事に気付いたりするし。だいぶ集中してるんだなと終わってから気付く。
 
そんな中で、自分は今後どうしていきたいのかを毎日考えている。
 
 
作品の販売を始めたけれど、なんとなく「これじゃない感」を自分で感じている。
私はこのサイトで販売したいのか?そもそもターゲットが違うんじゃない?売れるように合わせていくのは違うんじゃない?自分の絵の価値を自分で下げているんじゃない?
 
せっかく登録したけど、削除してしまいました。友人にも言われたけど個人サイトを運営してそちらで展示&販売をしたほうがいいなと。「なんとなくおしゃれだから」という風潮じゃなくて、「私の作品を見ていいなと思った人」に買ってほしい。
 
そもそも、利益を得たいのかな?と思い直すと、なんだかそれも違う。
じゃあ私いったい何が本当はしたいんだろうと考えると、娘の事が出てきた。
 
娘は以前小規模保育園に通っていて、そこでは小規模ならではの手厚さがあった。人数が少ない分、先生も多くて生徒も少ない。声を掛けてもらえる回数も多くて毎日楽しく通ってた。ほぼ毎日持ってくる絵はとてもダイナミックで、何を描いてるのかわからない事もおおかったけど、でーん!!と娘らしさ全開で「おぉ…笑」と楽しく見てた。
 
3歳になり、大きな保育園に転園。それが…
 
規模がぐっと大きくなり、生徒25人に対して先生は2,3人。加えて朝晩は別のクラスの子も一つの部屋に集まるものだからもうごちゃごちゃ。仕方のない事なのだけれど、娘はいまだになれる事が出来なくて暗い顔をする。無理もないな、そのうち慣れるかなと思っていた。
 
娘は嫌だと泣いて暴れるタイプでもなく、「合わせなくちゃ」と出来るタイプで自分の気持ちをあまり素直に言えない。言う前にこちらの様子を伺ってから話し出すという感じで、そういうところも少し心配だった。案の定先生からは「園では普通に遊んでますよー」と。夫も「そこまで心配することないんじゃない?」と言っていたのだけれど、ほぼ毎日毎時間一緒にいる母親だからこそ分かるものがそこにはあって。
 
園で掲示されたお弁当の貼り絵。お弁当箱の絵の中に、好きなシールを好きなだけ貼っていいという工作だったらしく、卵焼きやウインナーなどのシールがそれぞれ自由に貼られていたのだけれど、娘の作品は、「きっちりと、バランスよく、まっすぐ」みたいな並べ方で。先生からは「とっても上手に綺麗に貼れてますね」と言われたのだけれど、私は娘が小さな箱の中に入ってしまったような感じがして、なんだか泣きたくなってしまった。
 
私おかしいんだろうか。とても上手なのに、この違和感を感じるのはおかしいのだろうか。
 
「絵具もしっかり塗るからふやけて紙が破けそうになっちゃったんですよ。あわてて止めたんですけど」という先生の言葉を聞いても「破けたっていいじゃないか。それだけ一生懸命塗ったんだから。破けちゃだめだって誰が決めたんだ」と思ってしまったり。一応合わせて「そうですか~」と返したけれど、こういうところも違和感を感じて。
 
自由にどうぞ、と言われても、その自由の中でもある程度の「基準」があって、枠からはみ出ることはタブーという風潮がある。はみ出ることは「異質」であり「いけないこと」。「おかしいひと」。
 
それが「個性」だと認められるのは、ずっとずっと大人になってからのこと。小さい頃や学生時代はその異質を受け止めてくれる場所がすごく少ない。まして日本なんてめちゃくちゃ狭いと思う。これでいいのか。いいのか??
 
荒れ気味な娘が「ママだよ!」と家で書いてくれた絵は、ピンクの紙に赤いクレヨンで描かれた私がでーんと大きく笑っている。その下に黒いクレヨンでギザギザの線が現れた。
 
これを見たときに、あぁやっぱりこの子ストレスが溜まってるんだと直感的に思ってしまって。私は絵を読み解くアートセラピーの資格なんて無いから実際は違うのかもしれないけど、これはやばい、どうにかしないと。と思ってしまった。
 
今まで娘が黒を選ぶことはほぼ無くて、ギザギザの線を描くことも無かった。偶然なのかもしれないし、どこかで得た情報なのかもしれないけれど、その時に選ぶペンの色や表現する絵が、自分の心を表すということは私が身を持って一番よく知っている。
 
「ママ笑ってるんだよ」
 
どうしていつも私が一面なんだろう。いつも最近怒ってしまっているのに。なんで笑ってるんだろう。私に喜んでほしいのかな?
 
くるくるその時で変わる子供の絵。読み解けたらもっと子供に寄り添えるのに。
 
 
 
子育てをしているとわからないことばかり。小さい時は言葉が話せればわかるのにと思っていたけど、話せてもわからないことが多すぎる。成長につれて、性格も出てくる。言えないことも、よくわからないストレスも。
 
都会はのびのびした場所がない、核家族は頼れるひとがいない。母と子だけの小さな空間。
育児は、第三者の手が絶対に必要。第三者だからこそ、本音が出る。頼れる。泣ける。怒れる。素の自分が出せる。

 

 
アートはいわば空想世界。逃げ込めて、自分を解放する。もうひとりの自分。頑張っている自分を客観的に見て褒めてあげられるようになる。手先を使うことでストレスは確実に減る。型にはまらないと怒られる毎日から、はみだすことが素晴らしいと賞賛される真逆の世界。
 
自由でいい、それがきみなんだ、全部愛してあげるよ。お母さん、こんなメッセージが隠れているよ。どうか気付いてあげて。
 
そういう事を伝えられる人になりたいなと漠然と思ってる。でもどうしたらいいのかわからない。
方向性もまだ決まらないし、アートセラピーという正式な仕事も無い。資格もない。
飽き性だからすぐ辞めたくなるかもしれないし…
 
なんとなく思いついて、私が最近出会ったアートセラピーの資格をお持ちの千寿さんにメッセージを送ってみたら…
 
なんとどんぴしゃで同じような事を考えていたそうで、とっても驚いた。
 
 

 
人生ってすごい…!
 
自分が好きだ、この人についていきたいと思えた人とこんなにマッチングするなんて最高に嬉しすぎる。
 
まだまだ初期の初期で不明でぼやけた考えだけれど、大事に温めていけたらいいなと思ってる。