昔、親に”役者になりたい”と言った時に 当たり前の様に返ってきた答えがある。
”夢と現実は別物だぞーーーー”
確かに。汗
”本当に一握りの人間しか役者でなんて食べていけないんだぞーーーー!!”
親は間違ってない。
その通りだと思う。
多分こういう会話は日本の家庭では本当に当たり前になされているものだろうし、寧ろ
”夢を追いかけてどこまでも行きなさい~!”なんて背中を押してくれる親の方が(殊 その夢が芸事だったりスポーツ選手だったりちょっと非現実的なものであればあるほど。)日本では少ないのかもしれない。
なぜならば日本は”とりあえず安定”を求める風潮があるから。
”取りあえず大学行っとけ。”みたいな。
”取りあえず英語しゃべれないとだめだよね??”とか。
”取りあえず30才過ぎたら結婚は視野に入れて、、、”
”妊娠したら取りあえず籍は入れて、、、”
仕事後は”とりあえずビール”だし。”とりあえず枝豆。”
”とりあえずこんなもん。”
”取りあえず”好きな日本ジーーーーーーん。笑
別に取りあえずが悪いわけではない。
取りあえずになんの恨みもないし。笑
では”とりあえず”って何なのか?
辞書的に言うと、1.【いろいろな選択肢の中から第一に。さしあたって。まずはじめに。】または2.【すぐに。直ちに。】という意味合いがあるらしい。
つまり最優先で”安定”であり”大学”であり、”こんなもん”なのだ。
そりゃ”とりあえず安定”ならば”自分を信じて夢を追いかけなさい。”なんて教育はされないし、受験なら”取りあえず落ちても良いから自分の受けたい高校(大 学)を受けてみたら?”なんて指導はされないだろう。
だって最優先事項で 他はさておきやった行動で失敗は厳しいから。
さて。何故日本が”安定”をそんなに求める風潮があるのか、それはいつからなのか詳しいことは良くわからない。
でも少なくともそんな風潮の中で育つとやっぱり”夢を追いかけよう”って人はmajorityでは無いと思う。
年齢が上がるにつれ、小さい頃は見ていた、持っていた夢を現実をみつめることで”己の能力を知り””現実を知り”身の丈に合った生活を、安定を選ぶ人が日本のmajorityであろう。
私は、学生時代 結構な勢いでコンプレックスの塊だった。
別に”デブ”とか”馬鹿”とか”ブス”といって石を投げられたりいじめられた覚えは無い。
でも常に”がりがりにやせたくて”仕方なかったし自分の和風な顔も大否定し堀りの深い
ひたすら外人さんのような顔にあこがれ続けた。
だから夢はあったけど親の言うように”夢は夢であって現実とは違う”と思っていたし、何かあると”自分は駄目なんだ”と思い続けた。
そのときは気付かなかったけど”自分で自分を信じる事”なんて全く出来ていなかった。出来ていないどころかそんな考えすら頭に浮かんでこなかった。
だから親の言うように、周りの言うように余りなんの疑問も抱くことなく卒業して、数年仕事して、結婚して、、出産して、、、と多分どこかで多少なりとも考えていた。いくら”演技をやるんだ!!”と言っていたところで自分を信じきれていないのだから やっぱり寄ってきたスカウトマンとか事務所も怪しげな所が殆どだった。
悪い人たちって”確固としたものが無い人間”をかぎ分ける嗅覚が凄いと思う。
誰が騙し易そうか、、、本当に虎視眈々と獲物を狙ってるんだろう。
その労力を違う方向に向けたら何か大成功するかもしれないのに。笑
さて、私が”自分を信じる”という事をはっきり感じたのは国家試験のときだった。
医師、歯科医師国家試験の合格率はかなり高い。
だから”簡単なんだろう、どーせ。”みたいな感じで言われることもある。
中には”国家試験?あ、大したことなかったよーー。”と言えちゃう先生達もいらっしゃるかもしれない。
でも私は歯医者になるため、というより歯科医師免許をとにかく手に入れて自分のやりたいことの免罪符にするために6年間歯学部にいたのだ。
何が何でも落ちるわけにはいかない。
だって落ちたらつぶしが利かない。歯科医師免許がなかったら”歯に詳しいただの人。”なのだ。(ちょっと想像すると歯に詳しいタダの人は面白いが物凄く悲惨である。笑)
私が在籍していたのは私立の歯学部たっだので”国家試験合格率”が学校の評価となる。
私達の学年は幸か不幸か徹底してその”合格率”に学校がこだわっていた時期だったので
国家試験に行き着くまでに卒業試験、卒業試験を受けるための許可を得るための総論の試験が3回。その総論の試験を受けるための許可を得るためのテストが確か毎週月曜にあったかと思う。記憶がすでに曖昧だが毎週月曜のテスト総計の平均が60点以上ないとまず総論1,2のテストを受けられない。
そして総論1,2の平均が60点ないと総論3が受けられない。
総論3を落ちると卒業試験が受けられない。
そして卒業試験を受けて基礎が60点以上、臨床が80点以上あっても禁忌問題(私達はこれを地雷と呼んでいた。)を1問でも不正解になると自動的に落とされた。
なので。
多分かなりな勢いで皆 本気だったと思う。
自分でも”今流れに乗らないと私は来年国試浪人(国家試験を落ちて浪人すること。)をしても翌年受かるだけの精神力と根性は無い”と思った。
だから兎に角”後悔”しないために全てを”受かること”に集中させた。
”これだけやって駄目ならもう仕方ない。!”と思えるところまでやった。
私の大学時代の友達とか多分ほぼ全員そこまでやって試験に挑んだと思う。
この経験をくぐり抜けて 始めて私は”何があってもあきらめない諦めなければ何でも出来る。”という事と”自分を信じるところまで自分を持っていく”事を実感できた。
そういう意味では歯医者になってよかったと思う。
どうしても歯医者になりたかった訳でも、歯が好きだった訳でもないけど自分を成長させてくれる環境(友達や国家試験や)に居られたことは最高にLuckyだったと思う。
歯科医師免許をgetして”自分のやりたいことをやってもいい”免罪符を得た私は次の壁にぶつかる。
”親に養われているうちは、自立できてないうちは完全に自由ではない”ということだ。
そこで仕方なくだが歯医者を続ける事になる。だって自分は6年間、歯の事しか勉強してこなかったのだ。他のことでお金を稼げない。歯医者としてしか稼げないのだ。
だから”心を無視して頭の判断した方向”に”心の悲鳴が過食となって現れる”のを無視しながら歯科業界に留まることになる。