大学時代に所属したサークルの名は「音楽友の会」


通称「音友」。
まさに私のために存在しているような組織だ。

ほか複数のバンド系サークルがあったが、このネーミングと、新入生歓迎ライブでの先輩によるステージの完成度が決め手となった。

屋外に特設された舞台では、音友からはレッド・ホット・チリペッパーズのコピーバンドが代表で出演であった。

左右ニ段に重ねられたJBL製スピーカーから惜しみなく轟音が全キャンパスに響いていた。


う、高校の文化祭の体育館ステージとは規模が違う…と肌で感じた。

ミディアム・ロングヘアでベルボトム・ジーンズという出立ちのギターの先輩は、ESP社のフライング・ブイ。弾き方も絶対ハードロック・メタル好きとしか思えなかった。

さすが大学生…

わ、これカッケ!
とビジュアルでやられた。


正直レッチリの曲だとは知らなかった。
雑誌で言えばBURRNよりはロッキンオンに推されている感じがしており、そういう意味では当時はガンズなどもどこかハマらないバンドであった。

しかし横ノリでファンキーなリズム隊と、ボーカルの先輩のステージの動きがめちゃくちゃカッコ良かった。

サラサラのロングヘアでマイク・スタンドを両手で高く上げ、シャウト。
サクラであろう女子部員が黄色い声をあげる。


これだ、これ。

学ラン着て、わざわざL'Arc〜en〜Cielとかやらんでも、俺の理想のスタイルでもキャーキャー言われるじゃん!


大学最高!!

全てがサマになっていたのだ。

週一で開かれるサークルミーティングで使われる教室の扉を叩き、自己紹介の時間となる。
私はこの極端に偏った懐古趣味と技術志向主義の音楽的感覚、経験などをプレゼンした。

あからさまなマウントではなく。


先輩らの反応は、、

「なにこの新入生?キモ…」

「ハッハッハ!おもしれー奴」

「へぇ、どれくらい上手いのかな?」


…といったとこか。

私は無事、同学年からは早速一目置かれる存在となり
どちらかと言うと同性に気に入られた私は、ミーティング後、サークル御用達のバーへ。

飲みニュケーションの意図という時間は通称コンパという妖しい響きで、童貞にとっては非常に胸高鳴らせるものだった。

先輩らに囲まれ一通りいじられた後、ロックの知識、ドラムの腕を買われ、私は新入生にして新入生歓迎ライブに出場する運びとなってしまった。

まぁ、前例はあることらしい。

しかも、NIRVANAのコピー。

90年代、ハードロックやメタルに変わり王座を獲得した重く、陰鬱なオルタナティブ、グランジ・ロックと称されるバンドの代表格。

何故だかよく覚えていないが…

隣に座っていた林という先輩が、淡々と話を広げていた。


林はブランキー・ジェット・シティなど好きなフェンダーのジャズ・マスター使いのギタリスト。ベースは、これまた近くにいた、例の美術専攻の武田。マッシュルーム・ヘアにピチピチのチェック柄のニット、ベルボトム・ジーンズ、ハンドルが180°湾曲した競輪並みにタイヤ幅が狭いレトロ・サイクルに跨る姿でキャンパスを1960年代アメリカにしてしまうような強烈個性を備えていた。そして期待通り、リッケンバッカーのベースを愛用。

ロックのジャンルとか、メンバーの嗜好とか関係なく、みんなで良いねをシェアしようというサークルの理念を、林は行動で示したのだろう。


林は文学部で、毒のある芸術を好んだ。

漫画では吉田戦車や松本大洋、いわゆる理不尽系な作品。ロックも、ルー・リードなど数枚貸してくれた。

私もデヴィッド・ボウイを数枚貸し、好んで聴いてくれた。
そんな一筋縄ではいかないアーティスト気質の、ひねくれたような感性の持ち主であった。

カート・コバーンも好きな精神性であっただろう。


因みにサークル内にガンズ・アンド・ローゼズを主にコピーしてる連中がおり、律子という女性ボーカルで男女ともにカッコいいバンドだと認識され、支持されていた。

おそらくその対抗勢力として、林が面白半分で仕掛けた企画だとも考えられる。

そういう風潮は決して好きでも無かったが、食わず嫌いも良くないなと思うきっかけにはなった。


しかしよくお金と時間があった。。

体力も。

しかし
講義中はもちろん、バイト中も常に眠かった。。


さらに音楽や車を通して連む仲間が増え、非常に濃い時間を過ごしていた。

専門学校をドロップアウトした地元の幼馴染みは、私が中古の軽自動車を手に入れた途端、「独立して稼ぎ、高級セダン車に乗りたい」という夢と目標を持った。

しかし免許取得という壁が立ち、教習所の学費が貯まるまでは、たまに私の車を近所の田んぼで運転させた。


あ、もう時効という事で…

マニュアル車ゆえ難しく、だいたいカーブの際、ぶつけたり脱輪したりする以前にエンストしたりノッキングするのがオチなんだが。

一度、私が腹をすかし夕飯を食べに帰宅してる間、彼を1人にさせてしまったことがある。

「あいつ、まさか田んぼから公道出てないよな?」

悪い予感がしたら案の定、居るはずの田んぼ周辺に彼は、居ない。

どうやら駅前まで勝手に乗って行き、1人の女の子を連れてきた時は怒りを通り抜け眩暈がし、寿命が縮んだ。

その女子は、私たちの幼稚園時代の同郷で、歌手を目指していた可愛い系の専門学生のチエ。

何度かチエの友人と、男女2対2で飲みに行ったりした。

帰り道車で送る途中、チエが隣で眠ってしまい私の肩にもたれてきたことがあったが、私は何も感じたりはしなかった。

同じような夢を目指す女の子はもはや同志。

それにミカに遊ばれたばかりだったので、彼女がいくら可愛くても恋愛対象にならなかった。


さて
「GYPSY」の方は、ボーカル不在。

本当に河原と私は何年もボーカルに恵まれない運命だ。

私は前任を解雇させた責任を負い「良さそうなのいたら大学のサークルで見つけてくる」という約束をし、そのまま音友がチャッカリ居心地が良い場所になってしまった。

河原はまたも、待ちぼうけを喰らってたわけだが、彼は彼で彼女を作り、青春を送っていた。

それまでモーニング娘。にハマっていた彼だが、中卒フリーターといえど不良ならではの漢気あり、これを機に、音楽以外での目標や生き甲斐というかものを持てたことだったであろう。

お互い、視野や活動範囲が広がり多少不安を抱えていたが、まだまだあの15の夜の夢を語った熱は冷めてはいなかった。


そう。
私の情熱が1番の注がれるべきは音楽、ロック、バンド、、GYPSYだ。


私は、さきの地元の幼馴染みと「音友」で1人、同じ新入生に声をかけた。

「GYPSYのボーカル」として、だ。

2人とも、私と居てwin-winな関係である事を無意識とて自覚しており、私もそれ前提で持ちかけた話は、もちろん興味を持ってくれた。

そもそも彼らに対し直感的に人間性にロックさを感じた。


幼馴染みは、変なカリスマ性があった。
求心的というよりは、人たらしで。
車に興味を持ってから、地元の同級生の走り屋コミュニティに、かと思えば商店街のアーケードに屯するオタク・ゲーマー達などの輪の中にと渡り歩き、どんなジャンルだろうがグループだろうが人衆心を掌握する、さながらカメレオンのようにスルリと溶け込み入っていけてしまう不思議な力があった。

それは彼の分け隔てなく面白いと感じたものに素直に飛び込める柔軟で軽快なフットワークと、なにより彼自身の人間味の面白さによる賜物だったと思われる。

わかりやすく言うと、こち亀の両津勘吉。GTOの鬼塚英吉といったところか。


一方サークルの男は、バンドは初心者。

高校時代は野球部にいたという。
それなりの野球強豪私立で、3年間坊主頭で眉毛すら剃ってはならないという悪しき謎のスパルタ指導を受けていたよう。

その反動でか、タガというかネジが外れ、底抜けのお調子者になったと思われる。
因みに新入生だけでセックス・ピストルズのコピーをやろうと話が盛り上がり、あとはベーシストだけ…という時に、ノリで「じゃー、俺がやる!ベース、やってみる!」と名乗り出るくらいの楽天家でもあった。

高校球児だった割には適度に女慣れしており、たまにヘボい姿もどこか憎めない。

まさにシド・ヴィシャス・タイプのロックさを持ってはいた。


2人を同日、練習スタジオに呼び、GYPSYのオリジナルを数曲歌わせた。

幼馴染みの方は、少し想像はしていたが河原と同極のタイプで、全然気が合わなかった。むしろ互いに野生的な勘で明らかに空気をピリつかせていた。

音友の彼は、ルックスも柳葉敏郎似で一応華があり、ラルクやシャムシェイドを好んでいたことがわかる歌い方。

私の理想はジギーやボウイだったが、GYPSYの曲はポップな歌と、ヴィジュアル系っぽい曲もあり、彼のキャラクターとも合うと思った。

河原も廣田も、ほかに候補を連れてくることは無かったし、「まぁ、仕方ない」という感じで、晴れてGYPSYのボーカルに、この木村という男は選ばれた。


木村は、私と同くサークル内で先輩に可愛がられ、例のレッチリ・コピー・バンドの先輩に気に入られ、夏に催される「新入生お披露目ライブ」で、ヴァン・ヘイレンやスティングのコピー・バンドに誘われていて物凄く羨ましかった。

同時に、私は彼をGYPSYのボーカルにして正解だったと確信し、また暴走してしまう幕開けとなるのであった…