2000年から「24」年…

もし、時計の短針が刻む単位であれば
午前午後と一周し、新世紀の初日がついさっき終わったばかり。
新たな1日が始まって間もない。

陽陰の如く、現世ターンで起こる全ての事象は絶望的で悲観的なものばかりだが、それは全て因果応報。


または天誅、クリーン化、ツケ返り…と考えて生きることもできよう。

陰だとしても陽の目を持っているのだ。


栄枯盛衰とはよく言ったもの。
王座君臨の絶頂から前代未聞の手のひら返し、奈落への陥落というケツ末ちゃんちゃん。

ネットは相変わらずこの文化人様の擁護と

誹謗の光と影のAMPM?

ある意味、今世紀発最大級レベルの振り幅。

希望の光トカゲのおっさん?

仕事ゼロ仲間ゼロ?


…かくいう私もほとんど変わりはしない。

貯金ゼロ才能ゼロ…


しかし底辺じゃない。

決してマイナスじゃないんだ。

プラスでもないけれど。

いーや、まだまだ
MATCH young!?

見栄だけでも、貼れたら充分!

5億5千マンの瞳?
ごく五千円のタクシー代?

まぁ、あまり無理しちゃいけない
そのTOSHIで

字の如し無根。せいぜい茎が折れない程度に自分自身を曲げるだけ曲げれる。

ケチで結構な性分!

そのためには色々理由こじつけて正当化してきたから

時間差足払いクリーン・ヒットし。

あぁ正直、非常に自分とヒトシぃシンパシーを強く感じている。
あんな天才と、おこがましいことに…

そんな愛すべきMがいて

隣にゃYOっチャン!?

…さっきっから
チラつくタノキン

ホラふくタムケン。


せからしか!
バカちん共が!!


言っておきたいのだが、私がいつまでもこの件に対して風刺していたり、ヒト氏の不幸という蜜を味わって安心するようなヤツならば、「放送室」というラジオ番組のアーカイブをYouTube視聴なぞできないはずだ。

長渕の曲自体もかっこいいという印象は変わらない。

…しかしこの、いつもいまいちスカッとしない気持ちが変わらないのは何故だ?

もしかしたら18歳の、今でいう「成人」となった「あの時」から胸に棲みつき続けていた感覚と同等なのかもしれない。


〜高校3年の春、体育館ステージで軽音部のモテ陽キャ・メンバーとラルクアンシエルやエックス・ジャパンのコピーバンドをやって少しは黄色い声浴びても、心のどこかでは「自分だけのロックをやりたい」とオリジナリティを渇望し、果ては私という人間のアイデンティティを追求し、人生や生活にロックを落とし込むことを余儀なくされていたように思う。

それは著名な音楽家だけじゃなく、文豪やアスリートなども不可避である「己との戦い」というものに他ならない。


…昨年度の2年の頃のクラス・メイトは、中学時代からの知り合いが多くて、アウトローな奴もいたが良い奴だったし無害で、ぬるま湯のような環境だった。カースト境界も曖昧で、高飛車な美人やギャルとも会話できた。

それから進級のさい、文系理系とクラスが分けられた。
私はもちろん唯一の得意科目である英語を重点的に学ぶべく文系に進んだ。

大学進学するしない以前に、与えられた才能や培った知識とやらは後生大事にしたい性分の為、一年生の頃から新しい文法などはノートに書き留めていた。

そして見事、春からは3:1の人口割合で齢18のミニスカ・ルーズソックス旋風の渦中にいるナマアシ女子が割拠する空間で、平日半日以上を過ごすこととなる。

間違いなく本能が圧勝するであろう欲望と隣り合わせの日々が私を拘束した。

毎日ここから早く抜け出したい
毎晩アソコから早くヌけ出したい、と…

バンドはなんだかんだで二つくらいはやっていて、週明けは眠いし、いつも欲求不満だった。

軽音部の大西と同じクラスだったが、彼は欠席しがちで基本誰ともつるまない姿勢でいた。しかし陽キャからは好かれる「設定」をされていた。



私は1年時ウキウキ・ぼっちングだったキャラに「再」設定されてしまったようだった。


2年経っても、そういうくだらない価値基準で括りをしてしまう人間の心理などに、怒りや憤りを覚え、オリジナルのロック・ソングを書いて叫びたかった。



かたや世紀末で頭もカーストもアッパーに浮かれた連中を憐れみつつも妬み、なんだかんだとそんな奴らは「青春」を謳歌していた。

松本人志のドラマで甲本ヒロトが歌っていた「それ」かどうかは、あえて言うまい。


自分もいつか…

恋?夢?金?

どうやって??

妄想するだけ何もできず

とにかく今に見てろとギラギラとした理想と野望を企てた。


…そんな精神ギリギリ状態での試練を1年間も強いられたのだ。


記憶から消去されるはずが無い。
なんせ、今でも度々夢に出てくるのだ。

あの高3での教室にいるシチュエーション。
なおも私のまだ見ぬ人生への希望や根拠のない期待、迷いや不安など精神そのものを具現化しているのであろう。


13章にも渡り、高校生活を振り返っている最中ではあるが、ひとたび評価するとなると

一年生では「完全孤立」
二年生では「安全孤高」

三年生では次元が違った。

「全然虚構」
という言葉が合う。


2000年。流行りの映画、音楽、芸能人、テレビ、ファッション…ほとんど触れようともしなかった。

「この感覚が分からなければ青春ってやつは私の人生には縁の無いものなのだな」
と悟ってしまっていたのだろう。


上カーストの奴らは、時代的にロンドンハーツでの田村淳の悪ノリやガチンコなど、今でいうDQNと呼ばれる輩がいかにも好むであろう雰囲気の、正直言って下世話な、良く言えばスパイスの効いたバラエティTV番組が圧倒的にティーンに影響を与えやすく、支持を得ていた。



我々団塊ジュニアがいちばん元気だった。体もアタマも軽かった。


Pメールという情報伝達手段がメジャーでWi-Fi並みにコスパよくサクサク空間を交錯した時代。


早くから電波によるブレイン・フォグを起こしていたのかもしれない。



そしてコンプライアンスより大多数が支持すればそれは「正義」だった。




もちろん、当時もジャニーズの乱行や吉本芸人の不倫など、珍しくも無かった。



滝沢などまさに悪党で、我が女神・鈴木アミーゴと同伴で温泉パパラッチされ、絶望した。

歌って踊るイケメンは全て敵、ジャニーズなど滅びてしまえと呪ったほどだ。



まぁ24年の時を経て見事実現したけどね!


田村淳も女性タレントを食いまくっていた。

彼が結成したヴィジュアル系バンドは好きで聴いていたのに、残念だ。


いくら勉強したり精神疾患をカミングアウトしても、ハメ撮りはアウトだ。

あとは、浜崎あゆみがまさに時代の象徴であり寵児であった。

一部の軽音部員のヤツも羨ましいことに黒ギャルに童貞を捧げることができたようだが、
無垢な純愛が踏み躙られたようだった。

相手はヤリマン・ギャルで、彼は友人が軒並み穴兄弟にもなり、精神を病み荒れていた。

そいつがボーカルで、その悲しみを歌詞にしたオリジナル曲を合わせたこともあった。

「女で痛い目見たっつったって、女で良い思いもしたんだろーがよ」と、童貞の私は全然共感しなかったのだが…ギターの増山に頼まれて、そのバンドのドラムを担当したのだった。

時代的に「ミクスチャー・ロック」「ラップ・メタル」など横ノリでヘヴィなサウンドが隆盛しており、そのバンドは夏までやっていた。

そのオリジナル曲でボーカルの奴は…さきの女への汚い罵声や怨みつらみ言を英語で捲し立てるように歌っていた。

私とソウル的な部分は共鳴するのだが…

シンプルなリズムとメロディアスな歌という、ビート・ロックとは見事に正反対のバンドだった。

よくやっていた。



バンドマンとは…純粋なのである。


氷山の一角の如く、陽に当たるのはごく一部。
わかってはいる。

この時期に、浮かれてなるものかと頑なにキョロキョロキャラ変なんぞ勿論せずとも
チャラチャラふらふらしてるのは水面下の私も同様だったのだ。


…5月にライブが決まった。

市民ホールだ。
出演は2バンド。

初のツーマン

そして、最後にして最高の「私」のオリジナル曲を織り交ぜたライブとなった。

〜続く