幼稚園で学ぶマネジメントとリーダーシップ~ 待つ力を活用して引き出される自主性と創造性 ~ | 成功体質のための対話力向上公式ブログ

幼稚園で学ぶマネジメントとリーダーシップ~ 待つ力を活用して引き出される自主性と創造性 ~

このノートは本日NTTデータNEXT推進室から配信されたメールマガジンを転載しています。百瀬編集長のご依頼で、第82号を執筆させていただきました。本来、グループ社内限定公開ですが、百瀬編集長の許可が下りましたので、一般公開します。

 

 

 

幼稚園で学ぶマネジメントとリーダーシップ~ 待つ力を活用して引き出される自主性と創造性 ~

Be@work代表 近藤直樹

 

長い間コーチングをしていると、時々積み重ねてきたことがすべて覆されるような経験をします。

たとえば、長い間トレーニングを積んでようやくわかったことも、ある一瞬の出来事でとんでいってしまうようなこともあります。

今回、子どもとの関わりを通じてどのように人の力が引き出されるかのポイントをお伝えしたいと思います。

 

■能力を引き出す

マネジメント職やチームリーダーという役割で如何に部下の「自主性」を引き出そうかと毎日悩んでいらっしゃる方は多いと思います。

タイトルで「幼稚園」という言葉を使っているのですが、幼稚園児と人の能力を引き出すマネジメント力やリーダーシップ力というのは何の関係もないようにみえるかもしれません。

しかし、子どもはストレートで「こう言った方が得だから」というような「世渡り」技術を発揮して、面従腹背のようなこともあまりありません。子どもに対しては、政治的な駆け引きができない分、大人の「引き出し力」がストレートに試されるからです。

子育て本を一緒に書いた共著者から伺った話ですが、子育てをした実感として、子どもに教え諭す能力発揮よりも非言語的な能力、すなわち「感じる力」の方が大事な場面が多いそうです。子どもは言語能力がまだあまり育っていない中、いま何をほしがっているかを伝えるのがなかなかできません。

そういった子どもの状態を見極めるような「感じる力」が子育てを通じて、自分が育つということを言われました。もちろん、このようにおっしゃるのはこの方だけではありません。子育てをした人から非言語コミュニケーションによる「感じる能力」もしくは「察する能力」を子どもによって鍛えられたというような趣旨のことをよく伺います。

こういった感じる力のことを「ピンと来る能力」という言い方をしてみると、責任というリーダーシップには土台となる概念の英語であるResponsibilityの一つの側面であるということができます。

 

■責任の最初に必要な側面は感じる力 = Responsibility

少し脱線を許していただきますとResponsibilityは「ピンとくる能力」、つまり現場で何かが起きていることを「感じ取る力」が一番目に来ます。

第二に「応答する力」、現場で何が起きているかを感じてから「次にこう対処をする」ことを上長に報告したり、状況を他の人に説明したりする能力が来ます。

第三に「対応力」、状況を把握して実際に行動するという段階が来ます。

これらの一連のつながりは、最初に「何が起きているか」を見極めることができなければ、次につなげることはできません。

「感じる」などと言うと感性の話にとらえるかもしれませんが、「認知」する能力と言い換えた方が適切かもしれません。感じることや認識することができなければ、次の行動ができないという意味でとても重要なのです。

 

■子育てをした人を「できる人」と見なす社風

数年前に直接伺った話ですが、エコファンドという新しい企業の評価の仕組みを考え出した株式会社グッドバンカーの社長である筑紫みずえ氏は、「子育てをした人は仕事ができる」という経験的な判断をしているそうです。

社内で未婚女性(当時は社員は女性しかいなかった)に対して積極的に、「育児」をするように薦めているそうです。

 

■指示命令がほとんど存在しない幼稚園

さて、ではなぜ「幼稚園」なのかというと、筆者は偶然にも子育て本(タイトルは『怒らないママになる子育てのルール』総合法令出版刊)を共著者と執筆する時に、指示命令がほとんど存在しない幼稚園のことを共著者から教えてもらいました。それにも関わらず子どもたちのパフォーマンスを引き出しているのです。

その幼稚園は松戸市にある常盤平幼稚園といいます。同幼稚園にインタビューをする機会を得ましたが、そこでの教育の実践には驚くべき哲学が貫かれていました。

単純に指示命令がないばかりでなく、起きた問題を解決するために、園児自らが考えたり、話し合い(ダイアログ)を活用しながら簡単には解決できない課題に取り組むという非常にすばらしい教育が実践されていました。

個別のエピソードをご紹介していく前に、次の問いに取り組んでみて下さい。ちなみにこの質問は、マネージャー向け指導力研修の冒頭で最初にしております。しかし、ほとんどの方は「引き出す」というよりも「コマンド&コントロール型」の発想でこの問いをみているようです。

以下の問いについてご自身が部下を指導している時の「関わり方」を意識しつつ、普段の素の自分ならどのように思うか、あるいは対応するかを考えていただきたいと思います。

 

 ご自分が幼稚園の先生だとします。

4、5歳の子どもたちが「木から紙ができる」という話をどこからか聞いてきました。子どもたちは、「紙をつくりたい」と強く希望しています。先生であるあなたに「どうやって紙をつくれるの?」という質問をしてきました。

もし、子どもたちの「自主性」を尊重し、「自分で課題を解決する力」を引き出しつつ、自分にはわかっている答えを押しつけないように答えるにはどういう内容のことを助言しますか?

「正解」を教えてしまうと、子どもたちは「考えない」という指示待ち族になってしまう危険性が増します。そういう「指示待ち族」にするためのレールを敷くのではなく、どこにも存在しないような答えを子ども自身が作り出せるような支援をするとしたらどのような答えを伝えますか?

「前例や正解がない中でも自分なりに考え、自分なりに意思決定をして成果をつくりだせる」という力を引き出すような対応をするには、先生としてはどのような対応や返答をするでしょうか?

■実際にマネージャー、リーダーはどのように答えているか?

この質問を大勢の人にしてきました。だいたい管理職や指導者向けの研修参加者に伺うと90-95%の人は、大きく分類すると「方法を教える」というようなことを提示しています。「どのように紙をつくればいいか?」ということを教えるか、あるいはさらにつっこんだ人は、単に「作り方」を教えるだけでなく、どうやって「作り方を知ればいいか」という情報の取り方を教えるという人もいます。

 

■魚を与えるのではなくて魚の釣り方を教えろ、は限定的な対処法

よくコーチングの教科書では「魚を与えるのではなくて魚の釣り方を教えろ」などということが書いてあります。いつも与えてばかりでは、相手が魚を与えられるのを待つだけの依存型の指示待ち族になるので、自ら行動するために魚の釣り方という「方法」を教えろ、ということです。

この「紙をつくる」という課題に対しても、「作り方」そのものを教えるのではなくて、作り方に関する情報をどうやって得ればいいのかを教えるというのは、「魚の釣り方を教える」ということに他なりません。

しかし、「答え(=魚)を与える」のも「答えの出し方(=魚の釣り方)を教える」のも、ある限定的な状況では成功する方法論であります。

教える側が正解を知っているか、正解が存在するということに確信がある状況でなくてはそもそも答えを教えることはできません。当たり前のことですが、知らないことは教えられないのです。

答えを教えられるということは、「正解が存在する」という前提に基づいての方法論や対処法についての話であって、答えがあるのかないのかわからない場合には、その方法論には限界があります。

知識や経験があればある程度のことに対処できますが、「かつて起きたことがないような課題」に対処するには、過去の経験やスキルが活用できない場合もあります。むしろ、過去の成功体験や知識が邪魔をする場合もあります。

 

■課題を解決するのか、解決策をゼロから創作するのか?

「木から紙をつくる」というような課題の場合は、多分ネットで調べればどこかに写真入りで紙の作り方を教えているサイトがあるかもしれません。場合によっては動画が存在するかもしれません。おそらく「紙をつくる」だけで事足りるのであれば、そういった正解にたどり着く最短のやり方を教えればいいのかもしれません。

しかし、そういった「正解」が存在しているかわからない場合もあります。たとえば、より複雑な問題や簡単な解決策が存在しないか、あるいはそもそも存在しているかどうかの予測もできない場合には、「情報の取り方」すら教えることも難しいのです。

指導者側が「答えを持っていない」ような未知の分野の場合、答えを探すのではなくて「答えを創り出す」類いのアプローチが必要です。

あなたなら、自分が知らない答えを子どもたちが「自分から創造する」ために、どのようなアプローチを考えますか?

「過去の答えが適用できない状況」に対するアプローチとしてはさまざまな方法論があると思います。

たとえば、U理論のような最新のアプローチについて、どこかでお聞きになったことがあるかもしれません。またワールドカフェをはじめとした対話(ダイアログ)を通じて、ひらめきや問題を深めるような関わりを通じて、何かを発見するというようなアプローチもあります。

 

■創造性を発揮するアプローチ

恥ずかしながら、常盤平幼稚園でインタビューをしていた筆者は普段から「創造性を引き出す」とか「枠組みをこえた結果を出す」とかいうようなことを言っていますが、自分がその話を伺ったときに反射的に考えたことは非常にありふれた答えでした。

つまり、「googleで検索するか、wikipediaで紙の作り方をしらべる。そのうち一番簡単な方法を採用し、そのサイトの情報を印刷する。子どもたちに紙の作り方マニュアルを配布して、そのマニュアル通りにつくればいい」というような答えを思い浮かべました。非常に効率的な考え方です。

 

■結果至上主義は、人の成長につながらない

また、「紙を作る」という結果だけを得たい場合は、その検索エンジンで調べるという方法は間違ってはいないかもしれません。しかし、それでは子どもは「与えられた答え」に対して、「どう反応すればいいのか?」ということしかできません。つまり、試行錯誤して紙をつくるプロセスを経験するというよりも、ただ言われた通りにするわけで工夫する余地がありません。自ら考え、自ら試行錯誤して、最適な方法を「作り出す」というよりも、言われたとおりにやることで余計なことをしなくなり、自分から考えなくなります。考えて悩むよりも正解を誰かからもらった方が楽だからです。

そうして、できるだけ「機械」になるように訓練されていきます。

おそらく、大人(先生)がこのような「正しい唯一の答え=正解」「一番短時間でできる方法」を教えるのは、よかれと思ってしているのでしょう。子どもが失敗しないように、親切心で教えてあげているのだと思います。

しかし、「早く紙を手に入れたいだろうから」という結果だけを重視し、プロセスをショートカットしたこの結果至上主義の考え方は、発想力や失敗から学ぶ「本質」が得られなくなり、「できたときの喜び」にまで到達できないという弊害すらあり得ます。

結果至上主義では、考えてあれこれ試行錯誤するのではなく、反応速度をできるだけ短縮することを我々は学習します。反射的、反応的に全く何も「考えない」ように、とにかく、「正解を出すための反応速度を極限まで速くする」ということをしがちです。

締め切り直前でしたら、10秒よりも3秒でできるというような反射速度が大事かもしれません。しかし、そういった反射速度を速くするように訓練されている人は、あまり「考えない」という癖が身につき、物事を考えなくなります。そして、自分で考えないので、誰かから「答えをもらう」という依存的な傾向が出てくるかもしれません。

■待つ力

先日、とある講座にて「課題を深く考える」というようなシステム思考の実習を行ったことがあります。

4人組のグループで、ひとりが課題を提示して、課題に対してどういう状況かを説明をした後、残りの3人がその課題に関して、さらに深めるような「問い」を発するということをするのです。その問いによって課題を深めたあとに、課題を提示した人は最初の見立てを再構築して、さらに根源的なアプローチを見つけよう、というような取組みでした。

 

■反応的な考えをいったん横におく

課題提出者は、他の3名から「問い」を言われてすぐに、反射的に答えるのではなく、一呼吸をおいて、5秒考えてから答える、ということをしてみました。

その結果、課題を最初に提示した人の中から、「すぐに思い浮かんだ答え以外のいろいろな答えが浮かんできて、課題の深掘りができた」という感想を持つ人が出てきました。

「反射的に答えるのではなくて、5秒待ってみましょう」というように、強制的に「待つ」時間を与えた結果、課題に関して普段の自分では思いつかない解決策にたどり着いた人もいました。

 

■待つことによって他の選択肢が現れる

ここで言っている「待つ」というのは、ただぼーっとして無為に過ごせと言いたいのではありません。

反射的・反応的な思考では、いつも自分が思いつく物の見方で物事を見ます。しかし、そこで思考停止に陥らないようにして、「普段ならこう答える」という答えを言わずに、敢えて数秒待ってみると、他の可能性という選択肢が現れてくる、というプロセスで思考してみるのです。いつもの反射的・反応的パターンを脱却する方法を試してみるのです。

この講座では、たかだか5秒とか10秒とか「待って」みることで、いつもと違った答え方をしているという結果に行き着いた人が多くいました。普段出てくるA案以外に、B案、C案という異なった選択肢が出てきました。

待つというプロセスを入れてみた結果、他の選択肢が生じたのです。

なお、現象学や組織学習ではこの「待つ」力のことを「保留」と言ったりして、普段の硬直的な物の見方から脱却する一つの重要な要素として扱われています。

別な言い方をすれば「自分がもっている仮説(=答え候補)を目の前につり下げる」という表現をする人もいます。

目の前に吊り下げる=保留することで、その考えの妥当性を深く検証するのに役に立つのです。

 

■「待つ」ことは、意見を自分事としてとらえる責任感を促進する

普通に考えれば、いつも指示命令を与えられている人は、「考えなくなる」癖が身につきますし、自分で考えたというよりも「誰かに押しつけられた」という感想を持ちます。

ですので、出てきた考えを「自分事として見られなく」なります。自分事としてとらえない人は「失敗しても自分は責任をとりたくない。なぜなら上司が押しつけた答えだから」などと考える傾向が出てくるのです。

責任感を持たない状態では、人の能力が発揮されることは難しくなります。

 

■保留が新たな選択肢を生む

自主性・自立性あるいは創造性を引き出すためには、単に数秒待つだけでいいとは言い切れませんが、しかし、反射的・反応的な「答え」は、深く考えられない状態に陥ったときに起きるある種の典型的な反応パターンです。

E.シャインが『プロセス・コンサルテーション』(白桃書房)や、『人を支援するとはどういうことか?』(英治出版)という本で、押しつけるのではなくて「支援する」ことの重要性を力説しても、実際に答えを押し付けない、相手を依存的な態度にさせないで、相手の能力発揮の状態を作り出せる人はそうそう多くありません。

 

■待つ場面を使い分ける

数秒間待って答えを言うということには抵抗があるかもしれません。時にはそんな余裕などないかもしれません。

しかし、一日のうち何回かは「待つ」方がいい場面というのはあると思います。

すぐに「答えを出す」前に、相手はどういう状況なんだろうか?と考える方がいい場合もありますし、意見を反射的に言おうとしている自分をいったん「保留(=停止)」させてみて、待つことをしてみると、わずか数秒間の試みによって、新たな、かつより優れた選択肢が見えてくるかもしれません。

 

■常盤平幼稚園の先生の場合

さて、常盤平幼稚園での実際の例に戻ります。常盤平幼稚園ではどのように先生は対応したかという話ですが、実はすごく不思議なことをしました。なかなか本業のコーチでもしないベタな対応です。

「どうやって紙がつくれるの?」という子どもたちの問いに対して、先生は「うーん、どうやって紙ができるんだろうね?」と、質問に対して答えを全く言わないでさらに質問で返す、ということをしました。

コーチングでは「質問が大事」などと言いますが、まったくその分野に経験がない人から「どうやってこのことをやったらいいのでしょうか?」と言われたときに、上司が「どうやったらできると思う?」と質問に質問で返されたら、「逃げている」と思うか、皮肉を言われていると思うのではないでしょうか?

ちょっとしたコントになってしまうと思います。しかし、先生は大真面目で質問に対して質問を返すということをしたのです。

答えがわからないから子どもたちが「どうやって紙が作れるの?」と質問をしているのにもかかわらず、正解にたどり着くような方法を示唆することもなく解決策を一切提示せず、「こういうことしたら多分できるよ」などというような自分なりの意見も言わずに、その先生は敢えて質問に対して質問しかしませんでした。

 

■答えを与えられなかった子どもたち

その結果、子どもたちは「どうやって紙をつくったらいいかがわからなかった」ので、またさらに考えました。

子どもたちが考えに考えた結果、「非常に物知りの上級生の男の子にどうやって紙をつくったらいいか?」ということを質問する、という解決策にたどり着きました。

そして、上級生のとある男の子に「どうやったら紙ができるの?」という質問を子どもたちはしました。

しかし、その上級生も紙の作り方は知りませんでした。自分なりに考えて、言った意見は「木の皮を薄く切って、裏側(白くなっている側)にのりを貼って紙にする」という方法でした。子どもたちは試してみました。しかし、実際にはそうするとのりが乾いてパリパリになり、とても紙としては使えません。失敗でした。

そして、また先生に同じ質問をします。「どうやったら紙を作れるの?」

先生の答えは相変わらず「どうやってつくればいいと思う?」と、質問に対して質問を繰り返すばかりでした。

その結果、子どもたちは、また考えに考えてやはり答えを出せないので、別の上級生に質問をしました。

別の上級生も知らないものの、「草をドロドロにとかして、煮たたせて、水分を蒸発させて水分を取りのぞけば、紙になるのではないだろうか?」ということを伝えました。

子どもたちは、その新たな方法を試します。しかし、それも結果的に失敗します。

そうやって、ずっと失敗をし続けます。何十通りもの方法を試してみますがうまくいきません。

 

■試行錯誤のあとで・・・・

しかし、そうやって試行錯誤(というよりも、失敗ばかり)を繰り返し、2、3ヶ月経ったある日、「紙をつくってる人に教えてもらえばいいのでは?」という答えにたどり着きます。

早速、和紙職人に手紙を書き、教えを乞い、遠方のため来てもらうのは難しいので、紙の作り方を手紙で教えてもらいました。とうとう何十回もの失敗ののちに、2、3ヶ月もの時間を経て紙を完成させることができました。

上記のようなやり方は、あまり効率的ではないかもしれません。ただ「紙を作る」だけなら、無駄なことばかりをしていたといえるかもしれません。

しかも、試行錯誤を繰り返して、ようやくできたのが2、3ヶ月後です。

これが仕事で、明日までにやってくれといった仕事が3ヶ月後に「ようやくできました」などと上司に言ったら、その部下には誰も仕事を頼まなくなるかもしれません。

 

■失敗を通じてのイノベーション

成果(と締め切り)だけで言えば、あまりにも時間がかかれば、その仕事は失敗だったといえるかもしれません。効率も悪いでしょう。しかし、その子どもたちがした失敗の連続は、別の何かのイノベーションにつながるかもしれません。今回の「紙をつくる」という目標に対しては、数々の失敗は一見無駄にみえるかもしれません。しかし、ビジネスでは、失敗が新しい製品を生み出す話はよくあります。

付箋紙の「のり」の部分は、最強ののりを作るという業務命令だったにも関わらず、最弱なノリができてしまいました。

しかし、その最弱なノリが、貼ったりはがしたりできる紙=「付箋紙」というイノベーションを生み出しました。

この常盤平幼稚園のエピソードからお伝えしたいことは、

・すぐに正解が出ないことでも、すぐにあきらめないで、問いを持ち続ける

・成果は大事だが、その成果に至るプロセスを楽しむ

・失敗しても、やり続ける志を持ち続ける

・正解は与えられるものではなくて、試しながら創ることができる

・速く正解にたどり着くことと、ゆっくりたどり着くことの両方が大事

・全く異分野の人を観察していると、自分に関係のあるヒントが得られる

 

■統制(コマンド&コントロール)型幼稚園のエピソード

『怒らないママになる子育てのルール』を執筆するにあたり、常盤平幼稚園以外にも、取材をさせていただいたことがあります。

とある埼玉県の幼稚園にて、薬学部生が「子どもたちに健康習慣を身につけてもらう」というイベントを行っていたので同席させていただきました。

全園児が、講堂(体育館)に集まったときに、子どもがざわざわしていました。

薬学部生や筆者はその時「子どもたちは予想した以上に静かで、クラスごとに並んでいるな」という話をしていました。

しかし、そのときです。先生がいきなり、大きな声を出しながら笛を吹き出しました。

そこで奇妙なポーズをとるのです。笛を吹き、手をたたきながら、前にならえをする。それを大声で「しっかりやって!」とかなんとか言いながら、子どもたちにそのポーズを繰り返すように言いながら、「ちゃんと並びなさい!」などと言っていました。

正直に申し上げますと、筆者は「どこかの国のマスゲームみたいだ」と感じ、なんとなく窮屈な印象を持ちました。自分自身はそういうしっかりとした統制型の園にいた記憶もなかったので、印象深く思ったのかもしれません。

 

■常盤平幼稚園の園長先生の言葉

その「前にならえ」(整列)のエピソードを常盤平幼稚園で話をしてみました。私の話を聴くや否や、園長先生は不快な表情を浮かべながら次のように仰いました。「うちはかつて一切そんなことをしたことがありません」と。

「うちの園でしていることは教育であって、飼育ではないのです」ということを静かに、しかしきっぱりと断言しました。

ある幼稚園では指示命令型で礼儀を重んじる。しかし、別の幼稚園では指示命令がないのにもかかわらず、別の子どもに対する尊敬がある関係性をつくっている。

集団行動では、ある程度の規範や規律は必要だとは思います。しかし、いつもコマンド&コントロールしては「自主性」などは育ちません。ましてや自主性がない人には「創造的に考える」というのは、私は難しいと思います。

 

■自分以上の存在を育てられるかどうかが未来を決める

管理職向けの研修の中で、「私たちが今日(あるいは二日間の研修で)取り組みたいことは、常盤平幼稚園での実践のように、如何にコマンド&コントロールなしに、自主的に人の能力を引き出せるかということです」と言うと、最初はあからさまに腹を立てているような管理職の方もいらっしゃるようですが、「木から紙をつくる」というエピソードを聴いてからは、本気モードになるようです。

もし、自分以上の存在に育てることができなければ、私たちの次の世代は私たち以下になるということはおわかりになると思います。

人の能力がどのように引き出されるかは、その人の個性や引き出す側との相性とかいろいろな関係があり、一概に「こうすればいい」という単純な公式みたいなものは存在しません。過去Aさんにうまくいった方法がBさんにも適用できるか?というとそんなに単純なことではないと私は考えます。

そういった人によって異なる個性を活かせるような研修のヒントにならないかと考え、先生に問いかけてみました。

 

■本当の声

「どうしてそんなに、子どもたちの自主性を引き出したり、いじめ問題も子どもたちが自ら解決できるようになったり、創造性を引き出したり、自ら考え自ら解決する、というような実践ができるのですか?普段どういうことを心がけていらっしゃるのですか?」という趣旨のことを質問しました。

ある先生はこう答えました。

「私たちにもすぐにわかる答えがない場合が多いです。ただ、子どもたちと同じ目線で考え、悩み、いろいろなことを試みます。その間に子どもたちの『本当の声』が聞こえてくることがあるのです。その『本当の声』が聞こえるまで、子どもたちに耳を傾けます」というような趣旨のことをおっしゃいました。

「本当の声」で話せている人は、非常にパフォーマンスが高く、折れない心を持っています。本当の声を引き出せる人には、能力発揮の機会を与えるだけでなく、人は信頼を感じます。

 

■最後の問いかけ

部下や同僚、上司、友人や家族の「本当の声」がどれだけ私たちには聴こえているでしょうか?私たちは「本当の声」を聴こうとどれだけ耳を傾けているでしょうか?

「電報」的な文字の羅列ではない血の通った「本当の声」がどれだけ聴こえているでしょうか?

「答えを出す力」と「待つ力」という相反するマネジメント力の統合のために、この問いかけを提示して、本小論の締めくくりとさせていただきたいと思います。

 

近藤直樹さんプロフィール

1969年生まれ

1992年 (株)北沢書店 入社 洋書古書部担当

2001年 (株)北沢書店 退職

2001年 シックス(株)入社 法人営業担当。東京コーチング講座(Leaders)設立。

2002年 シックス(株)退職

2005年 Be@work(ビーアットワーク)設立。代表に就任

2007年 東京コーチング講座(Leader)解散。SoL Japan(組織学習協会 日本支部)参画。

2011年 NPO法人キャリア個性開発コミュニケーション支援センター設立。代表理事に就任。

著作

『ピザ屋を呼んだら、そのまま帰すな !』(TWJ社刊 印刷本&電子書籍)

『医療コミュニケーション』(薬事日報社)

『怒らないママになる子育てのルール』(総合法令刊行)

『恋愛コーチング』(総合法令社刊)

『BeWith超実践自己啓発テクニック―自分の市場価値を20倍高める技術』(九天社)

『7デイズ・コーチング』(エクスナレッジ刊)

『コーチング力が身につくトレーニングノート』(総合法令社刊)

*翻訳協力

『マクミラン版世界女性人名大辞典』(国書刊行会 部分訳)

『U理論』(英治出版)他

 

現在、エグゼクティブコーチング、組織開発コンサルティング、企業研修に加えて、公益財団法人日本生産性本部の公開講座『学習型リーダーシップコース』を担当。

http://seminar.jpc-net.jp/detail/mdd/seminar006077.html