寒山拾得以降、実在した人物をから足を洗い、説話上の架空の人物などで今後いくつもりだった。実在した人物は事実にこだわってしまうし資料集めから始まり大変であり散々やって来たので、個展デビューが架空のブルースミュージシャンだったように、初めに戻ってまた架空の人物に、と。それも良くできたストーリーだと思っていた。それがまた実在の人物に戻ってしまったことについては、鎌倉建長寺の開山蘭渓道隆の寿像(生前描かれた)にまずは打たれたのがきっかけであり,臨済宗の頂相は,その人物の教えそのものとされ、弟子に託されるものと知り、シワの一本まで正確に描写される肖像画の究極と思うようになった。しかし,その後作られ全国各地に残された蘭渓道隆像を見ると、噂話、あるいはそれすら聞いたことがないような像が多く、頂相が師の教えそのものとされていたのなら、教えは伝わっていない、ということになりはしないか?修行者ではない人物像制作者として思ってしまったのが,実在した人物制作に戻ったきっかけであった。教えを残そうとした高僧,その姿を残そうと描いた人達のことがまず第一と想いながら。