昨年亡くなられた森下賢一さんの奥さんから、森下さんの膨大な蔵書についてうかがった。私の参考になるような本があれば、といっていただいたのだが。 随分前になるが、当時はタバコを吸っていたこともあり、メインの本棚を両開きの扉のついた古い物にそろえた。一つの扉のガラスは、今は見ることもなくなったグリーンのダイヤガラスで、一つには扉の内側に日除けのグリーンの布が張られていたので、もう一つもグリーン系の布を張って揃えた。他にも棚を導入し、一旦はすべて収まり、そこまでは良かった。本というものは棚に立てに収まっているうちである。積むようになってはいけない。気を利かしたつもりの扉がアダとなった。積んだ本がじゃまで扉が開かない。扉の布は外光から本を守るというより、私から本を守っている。これでは棚状の壁がただ部屋を狭くしているだけである。 古今東西、博覧強記の森下さんの蔵書となれば散逸させずに、どこか区内の図書館に収蔵してもらう等の手だてはないものだろうか、などと思っていたが、室内の手直しをする必用もあり、面識のある古書店に処分を依頼することにしたと伺った。昔は空き地に打ち捨てられた湿ったエロ雑誌のような臭いに満ちていたが、改装したとたんモダンジャズが流れる古書店である。店主は明日来るので、その前に必用な本があればどうぞ、という有り難いお申し出だったので、お言葉に甘え、マンションに伺った。 果たしてその蔵書は思った以上に広範囲に及んでいた。伺う前から決めていたことがある。私の部屋が前述の状態であるので、面白そう、読んでみたいでは切りがない。制作に直接的に結びつく本に限ることにした。すでに段ボールに収まっている本をしばらく眺めていると、当たり前ではあるが、雑多なようで、やはり森下さん的セレクトであることが判ってくる。酒、旅、料理、魚、歴史、俳句。ところどころ目に入る“放浪”の文字。私はどうしても、幼い頃から愛好する人物伝的な物を選んでしまうが、戴いた本の中で私にとって危険なのは、図版も豊富な厚い洋書『Hemingway』であろう。今年に入ってのことだったろう。ある編集者にヘミングウエイなんてどうですか?といわれ、冗談じゃない。だけどカジキマグロを調達してくれるんならやりますよ。と笑ったばかりだったからである。奥さんから森下さんが人形作ってる人と話すのが好きだ、といっておられたことを伺い、嬉しい気持ちのまま有り難く本をいただいて帰った。

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