こんにちは


全てが終わり、何故か背中が痛くて寝込んでいました。


感情や意識は前を見据えても、
身体が動かないのです。






葬式の話です。

当初はゆっくりお別れができる家族葬と悩んでいました。

しかし、
もし自分が送る一般側だとしたら死者に最期の別れを告げ、手紙を添えるなり線香をあげるなりして送りたいという気持ちが強くありました。なので、一般葬にしました。


結果的、沢山の人達が見送りに来ていただきました。線香をあげる列は会場の外まで行列ができて、通夜の時点でお香典返しを追加発注したくらいです。






ねねが在籍していた保育園は仏教でした。先生はお坊さんでした。



私達夫婦の願いは、別れにお経をあげてもらうなら、保育園の先生がいいと願っていました。快く受け入れてくれてお経をあげていただきました。終わりの挨拶に先生自身とねねと思い出話を語ると涙ぐんでいました。火葬の時も泣いておられました。


通夜は子供が沢山いてそれはそれは賑やかでした。



葬儀までの流れとして、まず
住職の予定を聞いて、葬儀屋が予定に合わせ斎場を押さえました。
祭壇はオプションなしで用意しました。
祭壇の花はアレンジメントを1対×2分、自分たちで用意しました。
葬儀屋オプションの河の流れのようなステキな祭壇花にしてしまうと、ぬいぐるみやおもちゃが飾れなくなるからです。
ねねが好きだった店のお寿司にしたかったから通夜振る舞いも葬儀屋ではなく自分らで用意しました。
写真印刷関係は慣れていたので、遺影もカメラチェーン店で作ってきました。
受付周りの写真や記念品はすでにまとめていました。







葬式も告別式も終わって、火葬の時に、1つお願いをしました。

それは、火葬の荼毘に付す扉が閉まるスイッチを押させてほしいとお願いしたのでした。
この扉が閉じれば、骨上げとし、ねねの姿は2度と見れなくなります。

でも名も知らぬ係りの人が押すならば、その最期の役目を親の私が最期までやり遂げたいと思ったのでした。
係りの人は承諾してくれました。私は、火葬の扉を押すことができました。






私は忌引を終え仕事に戻りました。
会社はいつ復帰してもいいと言っていました。
色々な人から、復帰するのが早いね、と言われますが
夫は子供が亡くなった日から葬儀を抜いて今日まで未だ寝込んでいるので私が動かなければ生活できないのもあるからです。
(そもそも彼は3月から休職してほぼ寝ていますが)
追記、夫は6月の最期の入院からなくなる日まで週3ペースで病院に寝泊まりして協力してくれていました。