今回は大学院からの出来事を書く。

前回記事でも書いたように、主専攻と副専攻の怒涛の日々が始まった。
毎日がとてつもなく忙しかった。
バイトもしていたため、毎日が一瞬であった。
4月に大学主催のフィリピンへのフィールドワークがある事を知り、参加する事を決意した。
副専攻でお世話になっている先生が主催者だったので、すぐにメールでコンタクトを取り、参加したい趣を伝えた。
9月の出発まで毎週学部生ゼミに参加して準備する事を条件に参加が認められた。

初めての東南アジアで気持ちも上がっていた。そこからさらに忙しさはましたが、フィリピンに向けて準備を進めていった。
夏休みは建築のインターンに行きながら、レポートの作成等、大変だった。
さらにせっかくの夏休みという事で大学院生で草津温泉まで関西から来るまで約13時間掛けて行ったりもした。
インターンで疲れていたこともあり、草津温泉で急性腸症候群になった。
学部生の時からだが、温泉に行くといつも体調を壊す。笑

この病気は意外と厄介で、腹痛や怠さなど相当苦しめられた。
なかなか完治せず、病院に行った。
そこで初めて急性腸症候群と診断された。大量の薬をもらった。
と言うのも、3日後に4月から準備を重ねてきたフィリピンへのフィールドワークにいかなければならなかったからである。
はやく治さなければ到底フィリピンにはいけない状態だった。

薬のおかげで徐々に症状は和らぎ、フィリピンにギリギリ行けるまでには回復した。助かったー。笑

フィリピンでの生活は詳しく書かないが、日本総領事館やアジア開発銀行に行けるなど貴重であった。
また初めての東南アジアは見たことのない事ばかりで毎日が充実していた。

ハプニングとしては日本を直撃した台風により、関空行きの連絡橋に船が衝突し関空が閉鎖され帰国できなくなった事は想定外であった。
名古屋のセントレアに帰国する事になり、新幹線で関西に帰ってきた。
まあこれも良い経験かと。

帰国後は副専攻の修了要件である、国際機関等でのインターンシップが求められていたため、インターンシップ探しに没頭した。

政府機関へのインターンシップに応募する事を決め、副専攻の担当教授に指導をお願いし、エントリー書類を作成した。
もちろん、自分の国語力は皆無であるため、苦労した。
教授からも散々怒られた。
途中で投げ出したくもなったりした。
しかし、海外でインターンシップできる経験を夢見てめげずに用意した。
10月に書類を提出し、11月に書類選考を無事通過したとの連絡が届いた。
面接は11月の下旬に行われることが決まった。

なにより、準備する時間がない。

面接の準備を教授と一度したのみで面接を迎えた。まあなんとかやり切った。

 

12月。

父からベトナム・ホーチミンへの旅行を誕生日プレゼントとしてプレゼントされた。

9月以来の東南アジアで、1人旅行。

テンションが上がらないわけない!!

日本は真冬であったため、灼熱のベトナムに行くことは楽しみであった。

ベトナムで父と会ったが、何か不思議な感覚であった。父とは日本でしか会ったことがなかったため、海外で同じ空間にいるのはたまらなく嬉しかった。夢が一つ叶った気がした。

父と食べにいったベトナム料理屋さんは絶品であった。とくに春巻きは旨かったなー。

あれはまたいつか食べたい。

 

そして帰国後、インターンシップ機関先から面接も通過した連絡が来た。念願の海外でのインターシップが決まったのである。

期間は2ヶ月。場所はタイ・バンコク。

 

やっと、海外に出て活躍するという事のスタートラインに立てた気がした。

 

2月からタイでのインターンシップは始まった。

タイでの日々は手書き日記に書いているため、ここでは書かないが、海外で暮らしは日々が新鮮であり、素晴らしいものであったため、より一層国際社会で活躍したいと強く思えた、そんな旅であった。

 

今回はこの辺で。

次回は修士2年時の出来事を書きたい。