「卵が先か鶏が先か」
ウィキペディアによると、
「鶏が先か、卵が先か」(にわとりがさきか、たまごがさきか)という因果性のジレンマは、平たく言えば「ニワトリとタマゴのどちらが先にできたのか」という問題である。昔の哲学者にとってこの疑問は、生命とこの世界全体がどのように始まったのかという疑問に行き着くものだった。
……。
わかるような……。
わからんような……。
と言う感じです。
このページで面白いな。と思ったのは「ジレンマを解く試み」と言うその下の記述です。
全部の文面は長いので引用しませんが、
・遺伝学
・生化学
・統計学
・進化生物学
・神学
・循環時間論
と、様々な観点からこの問題についてアプローチを試みて論じられています。
神学の論も気になりましたが、
「鶏が先か、卵が先か」ウィキペディア(Wikipedia)
ジレンマを解く試み
循環時間論
仏教には循環的時間という観念がある。それは、時間は循環しており、歴史は繰り返されるという考えである。これはメソアメリカ(アステカ、マヤ)やいくつかのネイティブ・アメリカンの文化も持つ観念である。彼らの時間観は、永劫回帰の概念と結びつけることにより、「何が最初か」という問いに異なった答えを与えてくれる。時間が永遠に繰り返されるとするならば、その永遠性において「最初」は存在せず、創造もない。ゆえに答えはこうなるだろう。すなわち、何者も最初たりえない。循環する時間において、「最初」は存在しない。この概念はニーチェの著作によって西洋世界にもよく知られるようになった。
これが気になりますね。
>循環する時間において、「最初」は存在しない。
この視点で「時間」を考えてみるのも面白いのかもしれません。