未熟者のままでも。 | 「向こうの景色を見に行こう」 ※注 ブログ内容編集中→必要記事を下書き(非公開)にしています。

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“ツインレイ”は自分を信じて進みましょう。あなたにはもう、他者の答えは不要なはずです。
「自分を生きる方が面白い」

それは未知です。 誰も知りません。 あなただけが知っている。

あなたの人生を語り合う相手が、あなたにはもういるはずです。

補い合って生きていく。
それはまるで足枷のよう。
 
未熟な私は未熟なままに。
貴方を頼りに生きていく。
未熟者のままでいい。
 
だけど理想にチラつくのは。
完璧を求める強い声。
 
それはどこから来たのだろうか?
どっちが私の希望なの?
 
 
求めれば求めるほどに広く。
知りたくないこともある。
 
だって未来はわからない。
 
より良いものを求めた時に、正しいのはそちらなのかも知れない。と。
私はゆらいでしまうのです。
 
だけど、私が選んだ未知は。
貴方と共に生きたい。と。
大きなわがままのようでした。
 
 
望みが叶うならいつまででも、待っていられると思いました。
だけど望んでしまうのです。
他人と比べて。
 
私の希望が大きくなるたびに、私は自分の未熟さを思い知るのです。
求めた理想には届かない。と、せめて完璧を狙うのです。
だけどそれは続かない。
 
私は昨日から、その前から続いてきた私のまま。
 
そんな私も愛おしいのです。
 
同時に、歯痒いのです。
 
 
じっとしていればいいものか、走っていればいいものか。
どっちでもいいと知りながら、どっちがいいのか考える。
だって貴方に繋がっている。
私はそう思えるのです。
 
貴方に繋がるのだと思うと。
私は理想を探してしまうのです。
 
 
貴方の役にも立ちたいのです。
それが貴方と共にいるための条件ではないと知りました。
そこに条件はいらないのです。
 
できることならなんでもするから、と。
この身を滅ぼすような真似はもうしなくていいのです。
私はそれを知りました。
 
私は貴方の隣にいたいのです。
 
 
私はやっぱり未熟者なのです。
そうやって生きてきました。
 
 
私と、共に生きて下さいますか?