前の記事の続きです。

2月20日に日本に来て、立て続けに大きな地震を経験したうちの嫁。正直なところ、かなり大きなショックを受けている事は間違いありません。では、あの日地震があってから、うちの嫁はひとりで何をしていたのでしょうか?本人から聞いた話を整理してみたいと思います。

話はさかのぼって地震が発生する2時間ほど前、嫁からSMSが飛んできました。それによると、義母が合肥の弟の家に来ているので、Skypeでテレビ電話をしたいとのことでした。嫁のPCにもSkypeは入っているのですが、サウンドカードが壊れているので会話ができないですし、Webカムも付いていないので、私のMBAを使いたいようでした。とりあえず、返信してやり方の指示を出しておきました。その後、問題なく合肥とのテレビ電話が可能になったようです。

実は、地震があった瞬間も、合肥とのテレビ電話中でした。画面越しに、義母と弟夫妻と会話していたのですが、その途中にいきなり揺れ出したのです。地震を感知すると嫁は、

嫁「あ、地震だ。外に逃げなきゃ!」

と言い残し、Skypeの接続を切ってしまいました。

・・・これは、映像付きで見ていた義母と弟にとっては衝撃的すぎたでしょう。

とりあえず嫁は、半分パジャマのような格好で外に飛び出し、非常階段を3フロアほど下ったところで、中年女性とその娘と思われる二人に出会ったとのこと。彼女たちの様子を見ると裸足で飛び出してきており、娘の方は泣き出してその場に座り込んでしまっている様子を見て、ふと我に返り、もっと外出に適した服装に着替えに部屋に戻ったところに、私が会社からかけた電話が鳴ったそうです。

つまり、地震直後に電話で呼び出しても出なかったのは、最初に家を飛び出して家の中にいなかったからで、その後1回だけつながったのは、ちょうどいったん部屋に戻ったタイミングだったんですね。私との電話を終え、着替え終わると再び非常階段で階下におりたそうです。

ただ、避難場所なども明確に教えていなかったのにどうやって避難できたのか?実は階下に降りて、マンションのすぐ前の交差点に出たときに、交通整理をしていた人(ボランティアなのか、警察官かは不明)がたまたまいて、声をかけたそうなんです。すると、その人は丁寧に近くに公園があることを教えてくれ、無事にその公園に向かうことが出来たとのこと。

その公園は、付近の避難場所に指定されていたのですが、実際に避難していた人は20人程度。周辺の人口密度から言って、大半の人は屋内にとどまったようですね。避難中も何度か余震があったはずですが、ある程度落ち着いたところで、いったん帰宅したそうです。

一方の合肥。地震が始まったところでSkype接続が切断され、こちらの様子がわからずに、特に義母は相当動揺してそうです。それでも、中国のテレビで情報を収集していたところ、さらに追い打ちをかける様な出来事が発生します。

なんと、うちの実家がある市のコンビナートでの爆発の様子が地名入りで中国のテレビでそのまま放送されたらしいのです。義母や弟たちは、その実家のある市の名前を嫁から聞いており、なおかつ、その市に住んでいるものと思い込んでいたそうで、相当なパニックに陥ったそうです。

いったんは部屋に帰った嫁ですが、再び外に出たそうです。地震後も自宅周辺の商店は普通に営業していたそうで、買い物をしながら、お店の人と会話?をしながら気を紛らせた様子。地震大丈夫だった?と商店の方々にやさしく声をかけていただいたそうです。

都内とは言え、そういった人情が残っていたのが何ともうれしいですね。

こんな感じで買い物をして、再び部屋に戻ったのですが、依然大きな余震が続き、ひとりで部屋にいるのが耐えられなくなった嫁は、再び下に下りてマンションの入口のところで私の帰りを待つことにしたそうです。この時点で、たいたい午後4時か5時頃。

私もずっと、嫁に現在の状況を逐一教えるためにSMSを送っていたのですが、送信が出来ただけで実際には届いていなかっただけだったんですね。また実家の父に自宅に電話するように頼んでいたのですが、このように家の外にいたので電話に出ることが出来なかった訳です。

午後7時をまわるぐらいまで、マンションの入口にいたそうなんですが、ここでも住人の方に声をかけてもらい、「大丈夫ですか?」などの声をかけてもらっていたそうです。しかし、待てど暮らせど私は帰ってこないし連絡もない。さすがに冷え込んできたこともあり、7時20分頃に諦めて部屋に戻ることにして非常階段を再び上り始めました。

実は、このわずか数分後に、私がマンションに到着して、部屋のインターフォンを鳴らしたものの、反応なしという状況だったのですが、まさに階段を上っているところだったんですね。その後私も非常階段を上り、ほんとうにタッチの差で部屋に到着したわけです。

その後、お互いがSMSを送っていたのに届いていない事などが判明し、少し落ち着いたところで、合肥にSkypeで連絡をして無事を報告したり、被害が軽微なことやコンビナートの爆発は、何ら影響がないことなどを報告したのでした。

表面上は明るく振る舞っている嫁ですが、やはり一人でいるときに大きな地震に襲われたことにショックを受けているのは見て分かります。たまたま会社もある程度落ち着くまで自宅待機という事になったので、いろいろケアをしていこうと思っています。