8/⑴/8章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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 しかし、同時にメアリーは自分自身の宗教的利益も促進した。まず、私的にミサを行うことを主張し、のちには、ミサのほうが自分の行幸の際、自分に伴ってくるべきだと主張した。(訳注1)彼女は、ジョン・ノックスが著した本の中で報告されているように、「人をうっとりとさせる魅力」(訳注2)を使って、臣民の心の中に自己をしっかりと定着させるという自らの性向をはっきりと見せた。(訳注3)ノックスとメアリーとのあの有名な対話はこの時期に属している。ノックスが記した歴史書の中でなされているこれらの対話に関する素直な説明から、いくつかのことが明らかである。すなわち、それらの対話はフランス語で行われ(フランス語はノックスとメアリーの双方が流暢に操れる唯一の言語)、それはいつもメアリーの探求についてであった。ノックスは、メアリーに私的に訓戒を施すように何度も本人から誘いを受けたが断った。(訳注4)メアリーは機転において、そして、時には論理性においてノックスにまさった。しかし、ノックスが、彼女がスペイン王太子と結婚しようとしていることに対してした説教についてこれを正当化したとき、初めてメアリーは泣いた。(訳注5)また、ノックスが、ミサの挙行が広がっていくことに対して女王の臣下に抵抗するように呼びかけたとき、初めて彼は枢密会議官たちがいる前で女王の前に召喚された。(訳注6)ノックスを庇護していたプロテスタント貴族たちは(当時、彼らはメアリーとよしみを結んでいた(訳注7))、彼を危機から救うことはできたが、ノックスのことを少なからず厄介者だと思ったようである。(訳注8)彼は(今やモリー伯となった)ロード・ジェームスと不和に陥った。そして、長らくコミュニケーションをとらなかった。ノックスの個人的影響力はなお絶大であったが、これはもはや公的な事柄においてはほとんど役割を果たさなくなっていた。

 

 

(訳注)

 

1.ref: Cunningham, i, 298.  これまで見てきた通り、1,560年8月のいわゆる宗教改革議会で、ミサは法的に禁止になった。もっとも、メアリーは、この法律を君主として批准していない。そして、すみやかにスコットランド君主として地位を安定させるために、国内のプロテスタントとは争わないという方針を取った。だから、ミサは禁止というのはまあよいとして、私的にミサを挙行することは許容されるべきだとしようとしたのではないか。

 

2.John Knox, ed. by David Laing, The History of the Reformation in Scotland (2 vols) (Wodrow Society; Edinburgh, 1846-1848), vol. ii, 276.  "some inchantment whareby men ar bewitched"

 

3.ref : Cunningham, i, 302.  ただし、カニンガムの書には、メアリーが積極的に魅力を使って他を魅了したというような書き方はしていない。(下の英文参照)それはノックスの思い込み過ぎといえないだろうか。ノックスから見れば、カトリックの美しい女王メアリーは、美しい女の姿をした悪魔であっただろう。だから、メアリーがその美しさで他人を自然と魅了しているときでも、「悪魔が魔法を使って他人をたぶらかしている。そして、再びカトリックを広めようとしている」と見えたかも知れない。そのノックスの表現を下地に使っているこの本の著者マッキーの料簡とはいかがなものであろうか。この辺のところはもう少し調べてみる必要があるだろう。たしかに、フランス宮廷育ちだから、自分の魅力を使って相手を悩殺して、それによって自分の政治的・宗教的野心を遂げようという発想もあったかも知れない。うーむ。

 

 The beauty, the grace, the affable and winning manners of Mary, charmed all who were admitted into her presence. (Cunningham, i, 302-303)

 

 メアリーは美しく、優美で、その態度は親しみやすく魅力的で、彼女に拝謁を許された者はみな彼女に魅了された。

 

 これは、自然と彼女は皆をその美しさと魅力で魅了したととれる。それが意図的であったかどうかはとくに書かれていない。カニンガムはそんな風にとっていないようである。実際どうだったのでしょうね。使っている資料が古いので、最近の評価を見てみる必要があると思います。

 

4.誘惑しようとしていたというのだろうか。

 

5.ref: Cunningham, i, 319.  スペイン王太子といえば、カトリック教徒であった。「カトリックと結婚するなんてとんでもない。それも有力カトリック国のスペインの王太子となんて!」というのがノックスの率直な見解であった。メアリーはけっこう乗り気になっていたようで、ノックスのこの横車にムカッときたようである。(ノックスは教会で、説教の中で、メアリーのこの縁談に大反対する所見を披露した。)そこで、ノックスを呼んで、説明を求めた。すると、ノックスはノックスでとうとうと自己の見解を説明してこの結婚に反対した。ついにはメアリーは、「あなたは私の結婚にどういう関係があるのだ!」といって泣いたという。泣いても、ノックスは自己の見解をとうとうと高らかに説明し続けたという。やがて、メアリーはノックスを部屋から出した。

 

6.ref: Cunningham, i, 321.  つまり、女王の宗教に対して反対するように臣下にけしかけたことが反逆的扇動に当たるとされたということだろう。

 

7.つまり、メアリーの魅力に悩殺されていた。

 

8.ノックスはとにかく口が悪い。メアリーのことを「売女、売女」と、これではふつうの貴族は支持し切れない。また、ノックスは宗教改革者というと漠然としているが、「旧約の預言者気取り」というと、「気取り」という言葉は悪いニュアンスなので、それは差し引かなければならないが、自分を旧約の預言者になぞらえていたというのはより正確な把握の仕方ではないかと思う。君主の前でも間違っていることは堂々と、づけづけと指摘して改めてもらう。これである。