恐れを手放すための病気 | ハリーの養生訓

ハリーの養生訓

僕が見つけた養生

病気によっては強い薬を使い続けなくてはならないものもあります。

誰もが薬を飲まずにいられたら、それに越したことはないと思うことでしょう。

誰だって好き好んで飲んでいるわけではないのです。

だからこそ、薬と付き合い方を考えなければならないでしょう。

副作用を強調して恐怖を煽る言説があります。

たとえ副作用があるにしても、「言いよう」というものがあると思います。

現実に服用している人がいて、その人だって喜んで服用しているのではなく、日々、葛藤しているのです。

その心境を慮れないのでしょうか。

信条にまかせて、舌鋒鋭く批判、否定することだけが、知的であるとは限らないのです。

「離脱」

「脱」の文字には、危険であるから、その場から即刻立ち去らなければならない、というような強迫観念があります。

「恐れ」

これこそが、人間にとって最大のストレスであって緊張の根源であるのに、さらに恐れさせて薬をやめさようとする。

それがたとえ善意からであっても、愛のない言動であると思います。

「脱」できればいいでしょう。

下手にそれをして生命に関わる場合だってあるのです。

激烈な症状に心が折れてしまうこともあるでしょう。

「卒」

現代の医薬の功罪を理解しつつ、その恩恵を受けながらも、地道な体質改善の末に、容量を減らし、あるいは薬の必要のない状態に仕向けていくあり方。

卒業していく。

医薬に向き合う中で、悩み考え、様々な課題をクリアしながら、精神的に成長し、より自分にやさしくなれること。

たとえ卒業できなくても、恐れを手放して、前向きに薬と付き合っていくことができれば、愛と調和のうちに首席卒業でしょう。

薬を飲む際、それが強い薬であるほど、恐怖や心配がわきだしてきます。

その恐れる気持ちが、ますます心身をむしばんでいるとしたら、薬の効果も半減してしまいます。

どうせ飲むなら潔く、「ありがとう、これで楽になります。」と声を出して飲んでみる。

有効成分が身体に行き渡り癒されていくのを想像します。

副作用を及ぼす成分があったとしても、持ち前の解毒能力、排泄能力でなんとかなる。

なんとかなっているから、今もこうして生きているわけで、心配しても始まらない。

生きている体こそ愛おしく、感謝です。

そして、症状が緩和し、楽になった体で、好きなこと、楽しいことを、思いっきり遠慮せずにやってみる。

それが何よりの健康法ではないでしょうか。