最近、立て続けに低体温の方を拝見しました。
単なる自覚的な冷えではなく、体温が35℃台ということです。
必要な熱量を生み出せない体というのは、深刻であることは言うまでもありません。
生きることが即ち、熱を生み出す事であり、死ぬことが、冷え固まることだからです。
つまり、低体温の状態というのは、生きていながら、生命力が減弱しつつあるということなのです。
外気温が低いから冷えるのかと言えば、そうでもないでしょう。
我々は恒温動物ですから、常識的な範囲内での気温の変動であれば、それに適応し、体温を維持することが、本来はできるはずなのです。
ではなぜ体温を維持できないのか。
閉塞感漂う時代や苛烈な社会に生きている現代人には、血沸き肉躍るような、感情が高揚することが少なくなっていることもあると思います。
原始的、野性的な、生活においては本能のままに感情をあらわにし、全身をもって表現することもあったでしょう。
それに比べれば、日常のルーティンをこなす現代人は、極めて限られた、肉体活動、精神活動に終始することでしょう。
さらには、人生を彩る重要な要素であるはずの、熱を帯びる恋愛や性的な事柄も、冷淡なものになっている場合も少なくありません。
冷えは万病の元と言われます。
冷えによってもたらされる慢性病があります。
なぜ慢性病が慢性足りうるのかと考えた時、先述の体の内側から生み出される熱量の絶対的不足と、それと重なるようにして、その症状が不快であるために、いやでも体が緊張してしまうという、悪循環があるでしょう。
精神的な緊張による体の硬直が、血液やリンパの流れを阻害し、ひいては全身的な機能低下を引き起こしているのではないかということです。
体にあらわれるコリや硬直が、不快な症状が続く限り、いつまでたってもゆるまないのです。
それでは、慢性病を治癒に導くためにはどうすればいいのでしょうか。
体をゆるませることです。
そのために、快感覚に身をゆだねます。
手軽な方法として、温めること、ゆらすこと、さすること、などがあげられるでしょう。
複雑な方法ではなく、簡便な方法を、日常生活の中に組み込んでいくことが大切です。
気が付いたらすぐに行うようにし、自らの緊張を自覚し、それを常に解いていくようにするのです。
そうした方法を行っていくうちに、次第に体がいくらか楽になったら、より前向きに物事をとらえられるようになり、積極的に生きることができるようになるでしょう。
そこにきて、初めて低体温が根本的な解決をみることになります。
ということは、低体温というのは、自らが望む生き方ができていない、あるいは矛盾を抱える体が示すメッセージのように思えてきます。
病気もそうです。
より良い生き方へと歩みを進めるための、必要な布石なのです。