「今のこどもはしゃがめないんです」
こどもたちにダンスを教える先生からこんなお話を伺いました。
アキレス腱が硬く縮こまっていて、しゃがんでもかかとが浮き上がってしまうのだとか。
「手をグーにして、と言ってもできないんです。」
親指を中に入れて握りしめるのが、我々の考えるグーですが、こどもたちは親指を外に出して力なく握るのだそうです。
指が白くなるまで強く握りしめることができない。
これを身体の退化と言わずなんでしょう。
そんなこどもたちに、そのダンススタジオでは、裸足で走り回らせ、ぞうきんしぼりから床ふきまでさせるそです。
そのぞうきんも縫う宿題も課すのだとか。
「本当は家でやることなんだけど。」
その先生はダンス以前の、躾けの領域ともいえる、最も基本的な体の使い方から始めなければならない危うさを感じながらも、使命感をもって丁寧に教えている素晴らしい教育者でした。
「うちはスタジオじゃなくて道場って呼んでるくらいですよ。」
笑いながらおっしゃっていましたが、学校よりも学校らしい、人の道を教えるまさしく道場なのだと思います。
勉強であれ、仕事であれ、その土台に身体があります。
感受性も身体の五感によっています。
知識教育以前、高等教育以前に、必ずやらなければならない最も重要な身体教育が等閑視されている日本の危うさ。
「最近何が正しいのかわからなくなります。」
常識だと思っていたことが、ことごとく非常識の今、非常識が常識になっていることの戸惑いでした。
「先生のお考えが常識であって、受け継いでいかなければならない大切な遺産ですよ。」
こう申し上げました。
子供たちを取り巻く環境の変化は著しいものがあるでしょう。
良かれと思って突き進んできた便利な社会は、ますます身体感覚を鈍らせ、ゲーム機の普及、遊び方の変化は、脆弱な心身に拍車をかけている現状。
普段大人ばかりを相手に仕事をしているために、この問題意識に欠けていました。
土台が揺らいでいるのです。
今の子供たちが大人になった時の、身体状況が思いやられます。
こどもの将来の幸せを願うすべての大人に、一度は考えてもらいたいことだと思いました。