人間には定められた寿命があると信じています。
そうでなければ、あまりにも理不尽だからです。
どんなに節制していても夭折する人。
不摂生の限りを尽くして長命の人。
陰気に節制するよりも陽気に不摂生した方が健康に長生きするという、心の持ち方の影響力もあるでしょうが、
それでもなお説明のつかないこともあるわけです。
幼くして病死する子ども。
健気な子どもにどんな罪があろうかと、こうした現実を見るにつけ、神も仏もあったものかと呪いたくもなるでしょう。
こればかりは、人知を超えていると言わざるを得ません。
それでは養生法や健康法が無意味かといえばそうではないとも考えています。
滞在中にゲストがよくこんなことを言います。
「普段いかに自分を粗末にしてきたか」
養生法や健康法の本質を考えた時、単に長生きするため、病気を治すためということではなく、厳しい運命を選び、つらい現実を生きる、この自分を無条件に愛することに他ならないのだと思います。
「食べ物に感謝しなさい」
もっともなことでしょう。
しかし、それ以前に自分の生命に感謝しているでしょうか。
「生命が喜ぶものを丁寧にいただく」
これだけがんばって生きてきたのだから、質の悪いものを雑に食べていては、かわいそうだ。
そうした心意気が表れて初めて、食養が食養足りうるのだろうし、本当の意味で救われるのだと思います。