Modern Tradition -9ページ目

道筋

なにか、あるような。

なにもないような。

そんな日々。


なにかできたような、

なにも変わらなかったような。

そんな一年。


一年を振り返るには、まだ早い。




Modern Tradition-夏の曙







とある夏の日の曙。

ここは、穴窯の窯焚きをお手伝いさせて頂いている沖縄南部で、

人が住んではいるけれど、山があって、海があって、生き物がいて

遊…芸術家に相応しい土地のようです。



先日、南部で気になっていた染め織り工房さんを訪ねてみたら

The Okinawan Housingなオウチでして、あぁ、いいなぁと。

それで僕も古民家みたいなところで過ごしたい、

あったらいいな瓦屋根&シーサー!

というような願望がMAXになりかけてます。

シーサーはいつでも作れますが、古民家は新しく作れないのがイイです。



ただ、物や家って、使ってた人の気が宿るというか、

土地柄が悪くても、そこだけ清浄な気がするとか、

キレイに見えても、近寄ると気持ち悪くなるとか。

そんなことが多々あります。


相性が大切だと思っているので、良い出会いがあるように努めたいと…

いや、そう言う前に、そういう身分にならにゃならんと思っとります。

相応しい自分ということで。







Modern Tradition-窯焚きの匡崇






窯焚きの様子。

まだ焚き始めの方なので近寄ってもダイジョウブですが、

追い込みに入ると、近寄るだけで猛烈に体力を奪われます。

カメラのレンズが溶けます。これは泣けます。

顔が焼けます。大した顔でなくても焼けたら心が折れます、です。



それで顔焼けを防ぐために、陶芸家は麦わら帽に似た

「あだん葉帽子」をかぶってます。

器を作りたくなる時が来るか分かりませんが、

やるなら穴窯か登り窯だと思っているので

その時は、まず、あだん葉帽を入手したろぅ。



そんなこんなで工芸に親しんでおりますが、僕は工芸家でも芸術家でもありませんし、

デザイナーといっても、らしいことあまりしていません。

とりわけWebデザイナーらしくない。

毎日サーバの管理をしていますがSEでもないし、プログラマーでもない。

他人から見ると、ホント何してるか解らない人。


一言で表せる言葉がまだ生まれていないから、

とりあえず志すことだけ名刺に記しています。

手仕事の和をひろげる人、と。



ようやく、アウトプット主体に入る時期として下地が固まってきたと感じています。

10年前に大きな挫折をした時は、気持ちばかりで他になにもありませんでした。

今も何もないようですが、身を以て生き死にを腹に沁みらせるうちに据わりました。

技術も眼に近づくようになってきて、想いが形になり始めました。

どのステージに立っても初舞台みたいなものですから、

しばらく恥に堪えねばなりませんが、道筋が見えています。

毎日、毎時が成長期です。






Modern Tradition-夏の朝日

Love Birds




鳥が好きかと問われれば

「別に」と答えますが、

愛しているかと問われれば

「誰よりも」と答えます。





Source: google.com via Brandy on Pinterest











































きっと、みんな気持ちは一緒。




野の花は、

$Modern Tradition-野花

小指ほどの大きさの野花を摘んで挿しただけなのですけれど、

花器からグッと這い出てきそうな力を感じました。

野の花は、かくあるべきかな。

リュウキュウウラボシシジミ

なめると治るって言うけど、本当はどっちに転ぶかわからない

ご無沙汰しております。
訪れて頂いた皆様には申し訳なく、とてもありがたく思っています。

一身上の都合とは便利な言葉ですが、自身に起因する問題であれば、なるべく使いたくないものです。
暇がないとは言い切れませんし、諸々事情があったとしても、書かない理由には足りません。


書きたいことは毎日生まれます。
毎日、毎日。
言いたいことが止め処なく腹の深い底から火を噴くように。
その炎を抑えがたいために言葉は冷たくなるのです。


このブログのテーマは現代の伝統ですが、「伝統らしい」お話は現代的ではありません。
そのためか、このブログは時事を元に書くことが主体となり、記事を「公」、コメントを「私」としてパーソナリティを使い分けておりました。

各話の目に見えず言葉で表現しきれない人の想いや時代の流れが紡ぎもたらすモノ。
新しい慣習。新しい価値観。新しい世界。
伝統という言葉にまとわりつく弊害を除き、将来に向けた人と時とが紡ぐ上質のエッセンスを汲み出すことが私の密かな望みでした。

ところが、非才な私の言葉は毒にも薬にもならず自他に不快感のみ残しているのではないか。
もしそうであるのならば、これは愚痴以下ではないか。
そうした疑義が心を覆っていたのです。

愚痴ですら、自己を保つのに役立ちます。
ナンの役にも立てていない。将来に何の貢献もしえない。
心に不快感を残してしまうような言葉ではないかと。


…とまぁ、このような自意識過剰な言い訳は些細な理由でして、
ただの逃避です。


そんなこんなで、ブログらしく気楽にやるべと、
どうでもいいこと書いてみようと思います。






ほっぺにニキビができました。






いや、どうでもよすぎるだろ!
と…まぁ時間のある方はお付き合いください。


昨夜のことなんですが、日頃の不摂生が祟ってニキビ…
もう吹き出物と呼ぶべきでしょうか、嫌~なアイツができました。

幼少時から、身体も心も、お肌も人一倍弱酸性美俺なものでして、
ずっと守ってあげたいというか、あげないと拗ねちゃうというか
何かしら変化があると、すぐに身体に出てしまうという
トラブルだけは赤ちゃん肌体質な私でございます。

ニキビって、プチッとつぶすと、なんか白くて下はちょっと黄色っぽい粒みたいな
なんとも妙なアレが飛び出てくるんですよね。
それで、なぜか出てきたアイツをぷにぷに触りたくなるというか…
あぁ、これ本当にどうでもいいです。
とりあえず、つぶしたくなるんです。

当然プチッといって、キズになりました。



我が家には、こんな楽しいイベントを見逃すはずもない
悪戯小僧が一羽おりまして、案の定、顔の近くにやってきては
クチバシでちゅんちゅんちゅんちゅんやるわけです。

生来怠惰な私は、ヤツのなすがままに寝っ転がって読書に勤しんでいたのですが、
ふと、アレ?いつもと違うなぁ、と。

あおちょびのヤツ、口をカリカリごにょごにょさせて、ちゅんちゅんちゅんちゅん…
伝わらないでしょうか?

どうも、ほっぺのニキビ痕をぴちゃっと湿らせるようにしてるようなのです。

もしかしてコレ、舐めてるのだろうか?
クチバシヤローのくせして舐めてるのだろうか?
さらさらビオレにビチャビチャで対抗しているのだろうか?




そういえば、民話に「大工と三毛猫」という話がありました。

目の病気になった大工を三毛猫がなめて治すという、とっても和むお話なのですが
その変わりに、三毛猫の目が見えなくなってしまうのです。

どうにも切なく温かい気持ちにさせてくれる、大好きな日本昔話。






それで思いがけず、







あおちょび!にきびなるでよ!

そう、思ってしまったとです。










おまけ。ニキビ的な。