今年のサンマ、いまいちじゃないっすか?


さて、M武さんにも話をふられたので今日はセイルナンバーの話ですけどね。


それはおいらが大学生だった頃にさかのぼります。


そう、バブルの香が残る1980年代も終わりの頃の話ですよ。


その頃はウインド業界もバブルの絶頂で、誰もバブルがはじけるなんて思ってもいなかったのかもしれません。


ブリジストンヤマハなど一流ブランドがボードを作るのはもちろん、トノクラフトバーレーと言ったカスタムメーカも頑張ってました。


国産セイルメーカーもいくつかありましたよね。


九州の大会だけでもサムタイムカップ、ペプシカップ、アクエリアスカップ、ポカリスエットカップと言った華やかな大会はもちろん、福沢諭吉カップ、天草四郎カップ、鹿児島カップ、指宿カップなど各地方自治体がスポンサーになった大会、さらには西日本ファンサーキットに全九州サーキットなど毎週のように大会が開催されてました。


その頃は大会参加者も200人を超える大会なんてのも普通にあってましたから、セイルナンバーを登録していないなんて考えられませんでしたよ。


もちろん自分勝手な希望ナンバーなんて下っ端ウインドサーファーには通用するはずもありません。


その頃おいらの周りの選手の多くが登録していたのはJBSAという団体。


これに登録するとセイルナンバーが指定されてきたわけです。


おいらも登録しましたが、その時にもらったナンバーが「2810」。


まあつまり、好きも嫌いもなく決められたっつーわけですよ。


その後、全日本クラスの大会に出るとなると、それなりのまた別の協会にセイルナンバー登録が必要だったりして面倒だったんですが、例えばJBPなどにはその2810で登録してもらったりしてたんですよね。


なんか話がややこしくなってきましたね。


とにかく当時はウインドの団体が複数あってそれが、勝手にセイルナンバーの登録をしていたもんだから、今になってもそれが統一されずにもめてるわけっすな。


っと言うわけで、おいらのセイルナンバーは何かのこだわりがあって決めたわけではありませんがこのナンバーをもらって20年、今ではすっかり愛着ありますよ。


人様に簡単に譲る気にはとてもならない大切なナンバーです。


美味しいお酒を飲みながら-ag

っというわけで、懐かしの写真。


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