ビリージョエルに観る文化の専門化とは何か | 真正保守のための学術的考察

真正保守のための学術的考察

今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

そのロック好きの方のブログで初めて知ったのですが、日本ではシングルでミリオンセラーとなったビリージョエルの大ヒットナンバー「ストレンジャー」が、本国アメリカではシングルカットされていなかったそうです。

 

音楽であろうと政治であろうと経済であろうと、この世の現象は常にトータルなものとして起こるほかないのですが、敗戦によって「物語=歴史的連続性や文化的統一性」の重要性を失念した日本人は、物事のある一部分だけを切り取り、それを細かく分析し、そこから得られたデータだけで「日本はアジアを侵略した」だとか「日本は輸出依存国だから円安の方がいいに決まってる」などとやってきた。

 

こういう専門主義が持て囃され、物と事を総合的に観て、それをトータリティーに捕まえることのできる「ゼネラリスト」を知識の広いだけの浅薄な「学者もどき」と軽蔑してきた。

 

従いまして、ビリージョエルの名曲「ストレンジャー」がアルバムから分離され、物語からも切り離され、商業的成功だけをたつきの糧としてきたのも頷けるというものです(むろん、否定的な意味でですが)。

 

文化の保存という面に限っていえば、この国の列島人(劣等人と言いたいところだが)よりアメリカ人のほうが優秀なんじゃないの?

 

ちなみにビリージョエルでは「オネスティ」が収録された78年発表の「ニューヨーク52番街」ですかね、私のフェイバリットアルバムは。

 

ビリーさん、いい仕事しています。