それから数か月後 

「左上の歯茎のちょっと上にある尖ったものが気になる」と 島倉さんから予約が入りました

 

「以前は無かったように思うんですけど…舌で触れるとすっごく気になるんですよねぇ」

口の中に指をいれ、そのあたりを触れてみると確かに引っかかるものがありました

更に直接見てみると白くなった小さな点状の盛り上がったものが見えました

生きとし行けるものは刻一刻と変化をしてゆくものです

ヒトの口の中とて例外ではありません

歯があるときには殆ど変化はないものの 

歯を失うと歯槽堤(歯が埋まっている土手)はゆっくりとですが形が変わっていきます

骨が破壊される部分があると同時にその反対側では骨添加が起こる

その結果土手の頂上の位置が見かけ上動いてゆくのです

島倉さんの場合こういった経時的変化に加え 

周辺よりも骨密度が高い部分が吸収を受けずに残ったと考えられます

 

因みに これは歯肉をメスで切って骨整形(骨を平らかにする)し縫合しておき

数日後に糸を抜けば終わり、あとはきれいに治ってしまいます

こういったことを説明したら 島倉さんは

「わー 怖いわ とくに問題がないんでしたら、このままにしておきます」

 

『怖がるほどの処置じゃないんだけどなぁ』と思いましたが

毎日切った貼ったってことをやっている私のほうの感覚が麻痺しているのかもしれません

 

ここまでは治療らしい治療はありませんでしたが

更に数ヵ月後 「左上の5番目の歯が痛い それもかなり激痛であるのですぐに診て欲しい」

と電話がきました

 

患者さんの主訴で最も多いのが歯髄炎と歯根膜炎です

自発痛といってじっとしていても歯が痛い場合 あるいは噛むと痛いという場合にはエンドが必要となります

(エンドとはエンドドンティックスの略で根の中の治療のことです)

例外はあるものの基本的に歯髄炎は患者の怠慢によることが多く

歯根膜炎は歯科医の治療がザツであるために起こることが多いのです

いずれにせよ自発痛があったらエンドをやらないといけません

レーザーあてたり薬だしたりしてお茶をにごす歯科医もおりますが

そんなことで解決するのなら歯科医はホント気楽でいいですね

痛みの原因はこの他にグッと頻度は落ちますが歯の破折(しかも真っ二つに割れた場合)

それから一時的ですが急激な歯周病の進行(ピー急発という)もあります

前者では抜歯、後者ではお掃除のあと薬の貼付です

 

この時 島倉さんの痛みは 過去に治療している歯の歯根膜炎でした

お世辞にも「治療がよくできてますね」とはいえませんでしたから むしろ痛みが出て当然でした

根の治療を含め歯の治療は平均週1回で2ヶ月あれば通常は終わります

島倉さんにも毎週土曜日午前中に来てもらうことにしました

治療のステップによってはもっとリードタイムを短くしたり

場合によっては長くすることもあるのですが

まぁ、週1で毎週なら忘れにくいですからね

しかし症状、治療経過によって通院の間隔を考えるのが本来ではあります

 

毎週来院する島倉さんと色々な話をするようになりました

私の記憶の中にいた歌手 島倉千代子は ”か弱かった”のですが

目の前にいる島倉さんは 患者としては素直なものの 頑固にみえました

融通が利かないというのではなく 仕事柄相手に合わせることもあるでしょうが 

心の奥底では自分の意思を絶対に変えない

そんな印象で 時に恐ささえ感じました

ですから 『お願い』を切り出すのに だいぶ時間を要しました