はっつぁん、くまさんは「脱税(又の名を申告漏れ、別名修正申告)」で告発されたでしょうか?

 そんなことは、理論上ありえません。なにせ、江戸の町人に税金はありません。稼いだもんは全部自分で使えます。

 それでは、幕府は行政必要経費をどうやって工面したか? 見事な統治システムがあります。

 まず、思い浮かぶのが「奉行所」ですね。お奉行様といえば、裁判所の役人にような印象がありますが、TVドラマの影響でして、行政官です。まぁ知事(市長)でしょうネ。

 しかし、幕府ができた。さぁ奉行所だ、と設立されたわけではありません。最初は、江戸の行政は民間の専門家に任せておりました。民生行政はすべて、民間人でやっておったのです。そうでしょう。

  今でも役場や区役所でやってる一般事務仕事は中学生でも教えればできるというもんです。

 

 奉行所という役所ができたのが、3代将軍家光の時代です。理由は、民間だけでは無理な、強権力を発揮しなければならないような事態に対応するためです。

 そうでないような、金座・銀座などの貨幣の鋳造も民間(○○家)に依頼してます。いろんな行政を寺院に任せたりで、幕府のやることは「管理・監督」だけです。だから、税金も要らぬ道理です。農民からの年貢だけ食っていける間は。

 たとえば、江戸の行政経費は、上総・下総の2万石の領地からあがる年貢で、奉行所(都庁)の経費をまかなうと決められたいたわけです。今で言えば、予算収入が決められているのです。国(民)の景気動向で歳入が左右されないのです。予算規模が一定なわけです。そのなかで行うわけです。だから、江戸幕府にはパーキンソンの法則「官僚組織は肥大化する」は当てはまらないのです。

 増える行政需要にどう対応していったか。すべて、民間委託です。委託された方は、必要経費、自らうまいシステムで徴収していきますから、幕府としては、委託料は要りません。

 建築基準法の耐震性の問題で民間委託が問題になりました。幕府のやり方では、こんな不祥事はおきません。
 おきるかもしれないが、「命がけ」です。打ち首覚悟で不正をする必要がありますから。

 研究者に言わせれば、江戸末期では、行政の95%は民間でやっていただろうということです。

 なぜ、そんなうまくことやっていけたかの仕組みを説明しましょう。江戸時代の幕府は、保守派・市場経済派が望む「小さい政府」なのか?

 「小さな政府の大きい行政」ってことでしょうか。