帰省中の一号がコロナに罹患しましたが
そもそもどこで拾ったんだ。
京都で?試験中だったのにフラフラ河原町とか人混みの中に遊びに行ったのか?と思ったけど、人混みがあまり好きではないので滅多に行かないだろうし、実際帰省する一週間くらいはこもってたらしいので違う。大学の友達も元気。
では高速バスか?だけど一緒に帰ってきた友達も元気。
その日遊びに行った高校の同級生達は?彼らも元気。
え、じゃあその行き帰りの電車で?それとも中学校の同級生の家に一瞬行ったんだけど、そこで?
みんな無症状だけなんじゃない?
もうどこで拾ってきたのか皆目見当もつきません
いつどこで拾って罹患してしまうのか、見えないので厄介ですね。
と今はそう思いますが、陽性と判明してから何日かはどこでどこで誰からと頭の中でぐるぐるしていました。
というのも、陽性が判明した翌日の夕方。
二号の時と同じように、一号を部屋に閉じ込め、二号もなるべく部屋から出ないようにし、一号が部屋から出てきたら、その後消毒してまわり、自分の体調も気にしつつ(気管支炎の薬服用中)、気をつけ気をつけ過ごしていたのに、なんか頭とか首が痛いんだけど、寝方が悪かったのか、気管支炎のせいなのか、分からず熱を測ると37.5度とか
また検査しても陰性だと恥ずかしいけど、どうしようかな。お盆で病院も休みだし、開いてるところは予約取れるかも分からないし、、、とりあえず寝よ
でも寝苦しくって身体も熱くて、もう一度測ったら38度超えており、翌朝もう一度測るとやっぱり38度超えてる
コレは
代わりに病院を探してくれる人はいないので(オットはいても探せません。騒ぐだけいるだけ)、あちこち探し、一号を連れて行った病院とは違う近くの病院になんとか滑り込むことができ、お盆で忙しい弟に無理を言い、貸した車を一旦戻してもらい指定された時間に検査(PCR)しに。
ここは看護師さんが車まできてくれず、自分で必要なものをポストに取りに行き、唾液を入れたら電話し、呼ばれたら臨時の発熱用診察室に行き、検体と1万円(預り金。治癒後病院に行くと差額が返金されます)を渡し、調剤薬局に自分で連絡し、車まで薬剤師さんに来てもらいやり取りする流れでした。
やることいっぱいで大変でしたが、まだ動けたので大丈夫。
そしてそのまま帰宅し、処方された気管支炎の薬を飲んでずっと横になっていましたが、気がつくと下半身が猛烈に痛く、特に腰からお尻が、あたし何か産むの?陣痛??みたいな痛みがずーっと続き、カロナールを飲んでも効かなくてしんどくてしんどくて、気がつくと
何か産んでた
のではなく高熱
熱でふーふー、ゲホゲホ咳をしながら寝ては起き寝ては起きを繰り返し
翌日午前中に病院から陽性の連絡がありましたが、コレで陽性じゃなかったらなんなんだってくらいしんどかったでも軽症なんだよね。息子達と同じ軽症だなんて、軽症の幅広いよね。
息子達と違うのは、あたしは基礎疾患があり重症化リスク群に入るそうで、抗ウイルス薬のラゲブリオの処方ができるけどどうするか聞かれたので、少しでも不安を取り除きたく希望すると、すぐに調剤薬局さんが届けてくださり、服用スタート。
デカイ
このデカさのカプセルを
一日二回 一回4カプセル 五日間ガンバって飲んでます。
高血圧や気管支炎の薬と比べてもデカイ
喉ごし抜群というわけもないので、咽喉痛で水分を摂るのもキツい方は大変なんじゃないかな。
でもこの薬のおかげか、38℃台からなかなか下がらなかった熱は下がり始めていったのでした。
あとこの頃にようやく気管支炎とコロナの咳が違うことに気付きました。コロナの咳は胸の奥のほうから
ヴォホン!
と重たくすごく負担のかかる咳が出るんですね。これは体力のない方はしんどいと思う
そういえば子ども達にはなかった、保健所からの電話連絡もありました。毎日の健康観察も電話かハーシスか選べたので、お忙しいと思いハーシスで済ませることに。
そして楽しみにしていた九州旅行は当然キャンセル。向こうでお会いするのを楽しみにしていた方々にも申し訳ないやら、久しぶりの鹿児島(4.5年ぶり?)も行けなくて残念やら、、、
二号は地区の盆踊り大会にすら行けなくなってしまい可哀想なことになっちゃったな。
ダラダラと続けて申し訳ありませんが今も療養期間中でして、更に別の症状も出てきていますので、まだ続きそうです。
皆さんも気をつけてくださいね