有名ではあっても成功していない(?)作曲家のマックス・レーガー | くすのきJrのブログ

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『売れ筋』ではないマックス・レーガーを

どう売れるように仕向けるのか、

ということを、先程、書きました。

(→ 2012年3月19日付の記事『売れ筋ではない『マックス・レーガー』をどう売り出せばよいのか? 』参照!)


マックス・レーガーの『問題』は

まさしく『売り込み』の問題に

ほかなりません。


ビジネスの観点からも、そして

純粋に音楽的な側面からも、

レーガーに付随する諸問題は

色々と考えさせられることばかり

です。


名前は知られていても、彼が

作った曲はほとんど知られて

いない、と言う事実。


これって、やはりレーガーの

質の問題なのでしょうか?


彼の音楽の質は低いのでしょうか?


レーガーの評価も大きく分かれます。


ヒンデミットプロコフィエフ のように、

レーガーのことを高く評価する人たち

もいれば、ストラヴィンスキー のように

毛嫌いする人もいます。


「レーガーの音楽は、やつの顔くらい

不愉快きわまる!」


とか何とか言ったのもストラヴィンスキー です。


では、レーガー自身、何と言っていた

のでしょうか?


「じきに世間は私のことを反動的だ

と言うことだろう。」


「しかし、私の時代は来る!」


『反動的』というのは、その時代に反して、

逆行的に、懐古的に、昔風のやり方を

踏襲して作曲するレーガーのスタイルを

言っています。


レーガー自身、自分がやっていること

について、十分意識してはいたのです。


そして、『意図』してそういうふうに

時代遅れな様式を用いて、新しい

音楽語法で自己表現をしていたのです。


既にご紹介したヨーゼフ・ラインベルガー

ような保守的な形式を用いながら、リスト

ヴァーグナー 風の複雑で時に難解な和音

構成を取り入れて、独特のスタイルを生み

出したのです。


『ジコチュー』なおじさんの音楽?


独り言?


確かに、『独り言(モノローグ)』という曲集も

書いているくらいです、マックスおじさんは!


何を言っているのかわからないところもある。


しかし、独特の世界がそこにあり、一度そこへ

入ると、戻っては来れなくなるかもしれない…


『後期ロマン派』とか言われている音楽って、

そういうとこ、ありますよね。


レーガーの音楽もその部類です。


『難解』というわけではなく、多面的で、

あるいはプログラム音楽的で、そう、

映画音楽とかポピュラーミュージックの

ような感じでもあり、『感傷的』でさえ

ある場合もあります。


それはまさしく近代人の心の動き

そのものを音にして表したかのような

ものなのではないでしょうか?


それが『難解』であるとは、まさに

矛盾です。


『難解』とかいう世間の評価をよそに、

レーガーをはじめとして、後期ロマン派の

音楽に魅力を感じ、その演奏と普及に

力を注いだ人たちはいます。


レーガーが生きていた時から、

指揮者のフリッツ・ブッシュ、

その弟でヴァイオリニストの

アードルフ・ブッシュは、レーガーの

作品を取り上げていました。


また彼らは個人的にも付き合って

いた仲でした。


レーガーを支持していた音楽家は

ブッシュ兄弟だけではありません。


レーガーのオルガン作品の

初演をやってのけた、ライプツィヒ、

トーマス教会のオルガニスト、

カール・シュトラウベ もレーガーの

音楽を広めるのに貢献した一人です。


シュトラウベ の弟子からはバッハと

ともにレーガーの演奏で知られる

オルガニストが沢山育っていきました。

(→ 2012年3月4日のミヒャエル・シュナイダーについての記事 参照!)


コンサートホールでレーガーの作品が

演奏されなくても、オルガンでは盛んに

彼の曲は弾かれました。


しかし、そのオルガン演奏そのものも

問題が続発しました。


ラインベルガー の音楽を紹介した記事

でもお話したドイツでの『オルガン復興

運動』による楽器の性格の変化によって、

レーガーの音楽に合うオルガンが次第に

姿を消していったのです。(→ 2012年3月18日の記事 参照)


そして、新しく現れたオルガンで演奏すると、

レーガーの作品は何か不恰好になるのです。


それでも音楽大学その他の機関では

レーガーの曲をそれとはあまり合わない

楽器でも『無理やり』弾かせていました。


批判も出てきました。


あのヘルムート・ヴァルヒャがレーガーの

オルガン曲を公に批判したのです。


要約すると…


レーガーのオルガン曲はそもそも

ピアノ的で、オルガンにふさわしくない。


レーガーの『対位法(ポリフォニー)』は

にせもので、バッハその他のそれとは

異なる。


レーガーの作品を弾きこなせるように

なるまでの時間や労力は必要ない。


それで、彼が教鞭をとっていた

フランクフルトの音楽大学の

オルガン科のカリキュラムから

レーガーの作品を排除したのです。


ドイツ中がその是非をめぐって

議論にわきかえりました。


また、そういう批判があったからこそ、

逆にレーガーを再評価しようという

動きも繰り返してでてきたのです。


まぁ、これもオルガンという、

かなりマイナーな分野での

出来事なので、音楽界全体で

レーガーの再発見とか再評価とか

にまでは至りませんでした。


そうですね、かなり『頭でっかち』

というか、形式とか理論が先走って

いるという感じがしますね。


別の言葉で言うと、

肝心の音楽そのものが聞こえてこない!


そういうのがマックス・レーガーの周辺

のようです。


レーガー自身、その音楽とか彼の

風貌(ルックス)も含めて、何かしら

怪物的な印象が大きいと思いますが、

意外とユーモラスな面もあります。


そういうユーモラスな面も、そして

真面目で無骨な面も、一切合切

含めて音楽にしなければ、結局、

彼の音楽は一般には受け入れられ

ないでしょう。


レーガーが不成功に終わったように

見えるのは、彼の時代との不調和の

せいでしょう。


彼の死後、音楽の趣味の大々的な

移り変わりがありました。


レーガーは第1次大戦中に亡くなり、

その戦争の終了とともに、レーガーの

生まれ育った文化圏、ヨーロッパは、

大きく変貌してしまうのです。


レーガーを不成功に終わった音楽家、

と見なすのなら、それでもかまわない

のかもしれません。


とはいえ、レーガーの問題、いいえ、

レーガーを取り巻く音楽界の問題は、

結局、僕たち、ヨーロッパのクラシック

音楽に従事する者の問題でもある

のです。


そうは言っても、ヴァルヒャ大先生が

おっしゃるように、レーガーに

うつつを抜かすのは、よしたほうが

いいのかもしれませんね。


一部の優れた音楽家が何かの

機会にレーガーに取り組み、

素晴らしい演奏を披露してみせる…


それだけでいいのかもしれません。


無理をしてレーガーの音楽に

付き合うことはないと思います。


でも、偶然、ふとしたことから、

すてきなレーガーの作品の

演奏に出くわしたら、それは

幸運と言うものですよ!


あなたもそういう幸運にめぐまれますように!


もしも、あなたご自身が優れたレーガーの

演奏家でご活躍なら、それにこしたことは

ありません。


いっそうのご成功とご発展をお祈りします!


くすのきJr.