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映画『靖国 YASUKUNI』を観た感想




映画「靖国 YASUKUNI」を観た感想



[-注意-]

・評論や批評ではなくあくまでも感想です。
・いわゆるネタバレ日記です。大事なシーンの内容を書いちゃっています。






映画館の下には機動隊が待機している物々しい状況。危ない人が来るかもしれないという事からか、映画館の従業員たちもいつもより丁寧な対応。いつもこのくらい丁寧に応対してくれよ! 

これは映画「靖国 YASUKUNI」の良い効果かも。

冗談はさておき、公開日は朝から完売で見れなかったので少し間を置いての鑑賞。
映画の日なのかな1000円で見れたのは嬉しい。


上映中止騒動があった問題作である。
久々に気を張っての映画鑑賞となった。






映画は通称「終戦の日」と呼ばれる8月15日の靖国神社境内の様子と、遠く高知で靖国刀を作っている刀匠の姿を中心に進んでいく。

8月15日に靖国神社自体では特に大きな行事は行っていない。神社側としては「春秋の例大祭」と「みたま祭り」の方が重要であるからだ。しかし参拝者が一番集まるのは8月15日である。

これは、この日に何らかの思いを抱く人がたくさんいるからなのだが、毎年20万人という数は、元軍人や英霊と言葉を交わした人が年々少なくなってきている事を考えると驚くほど多い人数だ。

作中には、コスプレのような集団や勇ましい行動服の右翼団体構成員が多く登場するのだが、参拝者の大多数はそうではない。映画の中で騒ぎを起こしたり、仰々しく行動している人たちはごく少数なので、靖国神社参拝未経験者は勘違いしないで欲しい。

この作品は一般公開される映画であるから、当然ながらショッキングで破廉恥なシーンを打ち出さないと人の目は引けない客が入らない。この映画を観ると8月15日の靖国では右翼と左翼がそこらじゅうでドタバタやっているんだと思うかもしれないが、現実は盛夏の照りつける日差しの下で汗を拭いながら、叫ぶでもなく騒ぐでもなく、粛々と20万人以上の人が手を合わせている。

映画の中で軍服姿の集団が「辛い戦場で食事の時間は嬉しい一時だったでしょう」と食事ラッパを吹くシーンがあったが、ワタシはなどはよくぞと拍手を送りたい姿だったが、これらを「恐るべき稚気の噴出」と映画パンフに書いてる評論家がいた。

ワタシの立っている側は「戦争なんて誰だって嫌だ、だけどそれを我慢して祖国の為に命を賭して戦ってくれてありがとうございました」であり、コスプレや当時のラッパを演奏してる姿などは「きっと英霊は喜んでいるだろうなぁ」なんて思ってしまうのだが、ワタシの逆側にいる人には「軍国主義時代のノスタルジーと戦争賛美の幼稚な行為」に見えてしまうようだ。

コスプレを「恐るべき稚気の噴出」と言われると「確かにそういう一面はあるかもな」とは思うが、これに関しての賛否はもう平行線で交わらないでしょう。お互い「そうですか」とお茶を濁すしかない。

ただ、場所が靖国神社だからね。実際にコスプレ集団へ拍手を送っている人がたくさんいるのは事実だ。



映画の1シーンで、台湾・韓国・琉球の遺族集団が「合祀するな」と神社側に詰め寄る場面がある。

神社側は「日本人として戦ってくれた事を感謝して合祀している」と説明し、詰め寄る遺族側は「それは嫌だと」いっている。

そのあたりは「嫌だ」側の僧侶が作中で上手に説明している。
これは良いシーンだ。

でもね……この神社側に食って掛かるシーンに有名な台湾の立法委員(国会議員)「高金素梅」さんが登場するんだが、このシーンに関してパンフレットの中で土本典昭氏が「思想的な美しさが人相にこれほど出るものなのかと……」と語っているが、あんたのタイプの美人だからってそう持ち上げるなよ。ワタシには醜いヒステリーにしか見えなかったぞ。「台湾のきれいな人」とかを出して称えるのは気味が悪い。彼女が口角泡を飛ばして食って掛かる姿はこの映画の中ではかなり下品な場面だ。

靖国神社内「遊就館」でのシーンは盗み撮りかね?
許可をとっているならもっと堂々と展示物を映してくれ。
なんとなく悪いものを撮っているような映像に感じてしまう。

戦争に関する資料を保存した博物館は世界中にあり、ワタシが行った北京やソウルのそれも極めて我田引水の展示物だったよ(北京の抗日記念館はあまりにも合成写真だらけだったが、今は改装されて内容も変わったそうです)。物事は見る方向によってずいぶん違ったものになる。戦闘機などが雄雄しく展示されてなかったら英霊が悲しむじゃないか。




さて、事実誤認について細かい所を指摘する。

『靖国神社のご神体は日本刀である』
『冒頭まず靖国神社の神体は刀であり、昭和8年から敗戦までの12年間に、靖国神社の境内で8100振りの日本刀が作られていたことを指摘し・・・・』

パンフレットには上記のように書かれていて、映画の中で重要な立場を日本刀が演じるわけですが……。

靖国神社の御神体は「鏡」と「剣」であり、そこに「祭神」と認定した「霊璽簿(みたましろの帳簿)」を加えて御神体にしてるんですよ。

靖国神社では御神体の鏡に「霊璽簿」を写し「合祀祭」を行うことで「人霊」を「神霊」へと化す儀式をしているのです。

日本刀を御神体とはしていない。

神社としての神剣と日本刀は形も存在意味も違いますよ。

こんなのは靖国神社に問い合わせすればすぐ教えてくれることなんだが……。

「神剣」と「靖国刀」を一緒くたにしているところは随分と大雑把だなと思いましたね。


「靖国刀・日本刀」を戦争のシンボルとして描き、最後の首はね写真など(真贋が論争されているものが混じっているから困る)をパッパッパと映し出す事でメッセージを発しようとしているのだろうが、誤解を生みそうである。これは良くないな。

日本軍人が持つ日本刀は、首はねの道具として戦地に携えているわけではない。戦場で銃が主流になってから、軍刀の大きな意味合いは「正装時の装備」と「指揮用」そして日本人の場合にはそれに「誇り」の意味合いが加わる。

この「誇り」としての日本刀に対する向き合い方は、外国人に完全に理解することは無理だと思う。多くの外国人とって、刀はただの道具でしかないから。けれども日本人には違う。これは今の若い日本人にも理解困難かもしれない。ましてや、これらを英訳や中国語訳で伝えるのは無理だ。


李監督の演出は嫌日一辺倒ではないので、刀匠の老人と李監督のやりとりのシーンが、欲しい答えへの「誘導」と見えそうなのが残念。そう捉え始めると、日本刀という存在を、刀匠やら御神体やらとこねくり回し、結局それは捕虜の首を斬る日本軍人というイメージに落ち着かせたいと観えてしまう。

『靖国=日本刀=首切りの道具=残酷な日本軍人』

こういう図式ね。


そういう意図がないのならあのシーンはいらないんじゃないか?

会話がうまく噛み合ってない事もあって、これはどう英訳するのだろうと心配になった。



そして、正直言って、映画の内容よりもパンフレットへの寄稿文がワタシの気に障った。

どっちとも取れる内容に、「反日」へ導くパンフの解説がついている。

特に佐藤忠男氏が書いている評論がとても受け入れられない。

『日本人の言う日本刀の美とか精神とはなにかということをイメージして問いつめてゆく。そして結局それは捕虜の首を斬る日本軍人というところに……』

そうなのなら、オブラートに包んだ表現で巧妙に靖国神社を残酷日本軍の象徴として利用しているわけだから、この映画をとうてい肯定できない。

他にも『日本人が中国人にどう見られているのかを改めて鮮明に分からせてくれる映画……』とか『日本刀は日本軍の残虐さの証拠で、それが今でも靖国神社の神体で用いられている(要約しました)』とかは、軽く書きすぎじゃないかい? 大丈夫か? 何度も書くが、靖国神社の御神体は日本刀じゃないんだよ。

佐藤氏の文章には、どうしても『靖国=日本刀=首切りの道具=残酷な日本軍人』としたいという強い意思・意図が感じられる。


それと、映画が始まってからしばらく「これって日本映画?」という印象があるんだ。

日本語がなかなか出てこない。

何にしても表現物は最初の1分で見ている人をどう引き込むかは重要ポイントだ。中国映画にしか観えないのは、きっと何か意図があるのだろう。

パンフの評論者たちが書く解説どおり、これらが李監督の表現したいものなら、この作品に文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が750万円も助成金を出したのはなぜだ? 他に助成して欲しい作品、するべき作品はあるんじゃないか? となる。

あの評論・解説はこの映画の価値を大きく下げた。
観る側に思考を即するのではなく「こう反靖国的に見なさい」という押し付けになっている。
李監督の巧妙なモンタージュ作業が台無しだ。



文句ばっかり書いているが、靖国神社を一般人が大挙して参拝し、ちょっとしたお祭り騒ぎになっている姿を10年に渡ってじっくりカメラを回していた事は評価できる。日本人でも東京の靖国神社はやはり遠くにある存在だ。それを見る「記録」として貴重な映画であろう。これに関しては靖国護持派として感謝したい。


この映画を機に靖国神社の存在意義などの討論会が開かれる事になったのは正直嬉しい。なにしろ靖国神社や大東亜戦争(あえて当時の呼称であるこう言い方をします)を意識することがなかった人も多いのだから。

戦争の凄惨さや悲しみを知らねば、武力放棄による平和実現なんて出来やしない。何も分からず、何も知らず、平和や戦争反対を唱えてるだけでは世界平和の実現は絶対に出来ない。ガンジーのような非暴力不服従の闘争は頑強な意思と信念がなければ実現は不可能だ。

日本の戦争に関して大きな存在である靖国神社へ一般の人が目を向けるきっかけになった「靖国 YASUKUNI」を中国人監督が製作してくれた事にも感謝したい。

最後の首切り写真などの真贋は別の場所で討論されるであろう。

「合成写真」と「なりすましのプパガンダ写真」が含まれているというのはワタシの見解です。
それらについても検証などの良いきっかけとなるでしょう。



結論として『映画「靖国 YASUKUNI」はDVDで観れば良い』

これがワタシの意見です。


理由として・・・。


「上映やめろ!」と大騒ぎするのはナンセンスというか……それほどの映画でもないだろ。映画館で1800円払って見るほどでもない。DVDで充分だ。上映中止騒ぎは製作者にとって最高の宣伝だった。

また、作品中の会話が聞き取りずらいので、巻き戻しして聞き返したくてたまらなかったのもある。それに海外公開もされているわけで、英訳については非常に心配。あいまいでぼんやりした日本語特有の表現を李監督が正確に掴めているのかが疑問だからである。DVDなら止めて確認できる。

それと、無防備に見てしまい、最後の首切り画像の列挙シーンだけが頭に刷り込まれるのも困る。南京大虐殺30万人とかも地道な刷り込み作業でみんなその数字を鵜呑みにしてしまっているし。こういうのを巧みにやられると怖いんだ。


8月15日が近くなったらDVDで(ところどころ巻き戻ししたり、英語訳をチェックしながら)観れば良いのではないでしょうか。

そして靖国神社を実際に参拝してみてください。
(今年はきっと人が多いんだろうな、多分……25万人くらいか)




追記:
ワタシの友人のライムスター宇多丸さんが、この映画について丁寧に解説しています。
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20080426_hustler.mp3
ポッドキャストはiTunesで聞けます。
ちなみに宇多丸さんは「観に行ったほうがいい」でしめていますので、ワタシの感想と一緒にどうぞ。