8月1日の日記 おやじ永眠 | ガンおやじ

8月1日の日記 おやじ永眠

朝起きて、朝食を食べてから病院へ自転車で行った。

病室に入り、おやじに声を掛けてみたが、呼びかけへの反応はなく、いびきをかいて寝ているような状態。


病室にしばらくいると、主治医の先生が入ってきた。

お医者さんは、わたしに聞いた。

「お母さんから何か詳しいこと聞いてますか?」

「大体のことは、聞いてますけど細かなことまではよくわからないです。」

「それでは、別室でお話しましょう。」


わたしとおかんは別室に移動した。

「別室に来てもらったのは、お父さんもう意識がなくしゃべれない状態だけど耳は聞こえてるんです。だから、部屋を移動しました。

お父さんは、体力的には限界が来ています。おそらく、今の状態から意識を取り戻して再び話をすると言うことはもうないです。

まれに、この状態で何週間か頑張る人もいますが、お父さんの場合は、何週間単位ではもうなく日にち単位だと思います。

何度も言いますが、この状態でも声は聞こえているし手を握ってあげてもわかるのでやってあげてください。」


今晩は、わたしがおやじに付き添って止まることに決めていたので昼からやってきた弟夫婦と交代。

家に帰り昼寝をして少し休んだ。


PM6時過ぎに晩御飯を食べて、シャワーに入り寝る格好をしてPM7時30分頃病院に到着。

おかんと弟夫婦は、わたしと交代で帰って行った。


PM8時から「今田ハウジング」というテレビをやっていた。

たまたま、わたしが昔住んでいた宮崎の格安物件の紹介をやっていた。

宮崎におやじが遊びに来て、飫肥の杉林を車で一緒に走りに行ったり、日南海岸行ったり、宮崎発大阪行きのフェリーに乗って一緒に雑魚寝しながら帰ってたりいろいろ思い出していた。


PM8時30分頃、看護師さんが来て、睡眠剤をお腹に注入して、日中していた栄養の点滴を抜いた。

その後、血圧を測った後、私の方を見ていった。

「だいぶ、血圧が低くなってきているので、家の人今晩呼ばれたほうがいいと思います。家族が泊まれるところあるんで用意しますわ。」

わたしは、すぐにおかんに電話して血圧が下がってきているので、今晩病院に付き添ったほうが良いと言われた事を伝えおかんと弟夫婦はまた、病院に戻ってくることになった。


PM8時40分、おやじを見ているといびきの音が少し小さくなっており、おなかの上下する幅も少し小さくなってきた。慌てて、ナースステーションのベルを押した。

すぐに、看護師さん2人がきた。そして、その状況を確認して

「家族をすぐに呼んだ方がいいです。お医者さんを呼んできます。」といい部屋を去っていった。


なすすべなく、わたしはおやじの手を握りながらじっと顔を見ていた。手は暖かかった。

呼吸は、さらに小さくなってきた。

その後、一定のリズムを刻んでいた呼吸が時々少し途切れるようになってきた。


PM8時45分、呼吸が息を吸ったのを最後に止まってしまった。

おやじの手と顔を触ってみた。

暖かかった。

おやじの目元を見ると涙を流していた。


PM8時50分、おかんと弟夫婦が病室に入ってきた。

わたしは「今、病院着いたと同時くらいに息止まってしもた。」と言った。


おかんは、「うそやろ。」と言いおやじの側に駆け寄り手を持って泣いていた。


PM8時55分、お医者さんが入ってきた。脈、瞳孔を確認したあと

お亡くなりになりましたと言って去っていった。


2007年8月1日 PM8時57分 62年のおやじの人生が終わった。


その後、看護師さんが入ってきて、

「最後の処置と化粧をするので1時間30分くらい外で待ってください。」と言った。


わたしは、もう一度おやじの手を握ってみた。まだ、やわらかくて暖かかった。

これで、おやじの暖かい肌を触ることは2度とないのだと思い手を離してしばしのお別れをした。


わたしは、寝る格好だったので急いで服を着替えに帰った。

その間に、おかんはもうすでにお世話になることに決めていた葬儀屋に電話した。


PM10時30分頃、処置が終わりましたと看護師さんが言いに来たので再び病室に入った。

看護師さんは、「しばらくは口が開いてしまうのであごの所にタオルを巻いて押さえているので取らないでください。」と言って去っていった。おやじの手を握ってみるともう冷たくなっていた。


PM11時00分頃、葬儀屋の人が到着し、おやじの遺体を病院の裏口から運び出した。

わたしとおかんと弟は、おやじの遺体を乗せた寝台車に先導してもらい車で東山区にある葬儀をする所に向かった。


会場に敷いてあった布団におやじは移され、顔に白い布が掛けられた。

今晩は、わたしが付き添うことにしておかんと弟夫婦はAM0時30分頃帰って行った。


この日は遅かったのでわたしの寝る布団はなかったので、おやじの横に座布団を敷いて寝転がった。

寝ようと思っても、色々思い出して涙が出てきて寝られなかった。


おやじの側に行き白い布を取ってみた。

寝てるような感じがする。

顔を触ってみた。

冷たかった。

やはり死んでいるんだと思うとまた、泣けてきた。


8月1日はわたしの34歳の誕生日。

誕生日が命日になってしまった。

きっとおやじが俺の分も生きろよ行っているんだろうか?

寝られないまま夜が更けていった。