Demi's Diary in Kumamoto

デミ夫人の『熊本探検紀』(2001.10/21~24)


お墓の横、写真中央が我々の宿泊先「民宿平川」(?)。見えませんね。本物の山の一軒家です。

 


目次:10月20日(土) くもりのち雨。いざ出発

   10月21日(日) 大雨。移動中寝ては食べ
     ★おお、九州だ! しかしイナリ号煙上
     ★お墓参り
     ★「民宿平川」へ
   10月22日(月) くもり、ときどき雨、ときどき晴れ。田舎の朝
     ★神々のふるさと高千穂へ
     ★天の岩戸神社、禁足地の謎
     ★天然記念物・池尻の唐傘松
     ★2日めの夜、宴会本番
   10月23日(火) 晴れ。もう最終日
     ★熊本市街探検
     ★寂しい帰り道
   ★あとがき:親方の少年時代にふれて

熊本は親方の生まれ故郷。10才までの少年時代を過ごした土地です。9月に親方のいとこの和さん一行が名古屋に来て(DEMI日記2001年9月6日参照)、皆の熊本弁を聞いた親方は居ても立ってもいられず、3年ぶりの帰郷を決めました。この探検紀行は私、BOZZ、ひろぽん、セルジオがお供した「親方版:我が心の旅」です。

日記の日時表記:我々の日付け変更線は深夜0時ではなく、夜明けです。

 


 

10月20日(土) くもりのち雨。いざ出発

土曜日までは通常営業。一足早く店を出た私は自宅で荷物の最終確認。着替えや洗面用具はもちろん、毛布に寝袋、救急箱、鍋やフライパン、オリーブオイル等の調味料、BOZZのごはん.........、荷物は玄関にあふれんばかりです。ちょうど3時頃、キャバレロでの荷物を積み終えた一行が迎えに来ました。玄関の荷物を見てセルジオが一言、「夜逃げですか」。確かに、静まり返った深夜、家財道具一式かと思われる荷物を運び出している姿には怪しいものがありました。

この旅、本当はIナリ氏も同行するはずだったのですが、会議が入って突然行けなくなり、結局イナリ号アメリカのトラック?サバーバンという車)だけ借りることになりました。イナリ号のトランクには、キャバレロで積んできた食材、食器類(グラス・皿・フォーク等)、ワイン1ケース、ギター&サックス、モデルガン、MDプレーヤー一式等が既に山になっています。その上に無理矢理荷物を積み込み、最後に寝とぼけたBOZZを乗せ、Iナリ氏にセルジオの車を引き渡し、いざ出発です。

最初の運転はセルジオ。一宮インター手前のコンビニでまずは腹ごしらえ。セルジオひろぽんは、おにぎりやら焼そばパンをむしゃむしゃ食べてました。高速に入った途端、雨がぱらぱら。ひろぽんは次の運転に備えて一番後のシートで睡眠モード突入。でもいつのまにか缶ビール5本を空にしていました。

 


 

10月21日(日) 大雨。移動中、寝ては食べ

私もいつのまにか、うとうと。目が覚めたとき、辺りは既に明るく、大阪を過ぎていました。しばらくすると左側には海、右側にはゆるやかな山腹に広がる白い街、神戸に入りました。美しい街です。しかし親方とセルジオと皆で感心している場合ではなかったのです。吹田ジャンクションで道を間違えたことに気付き、さらに垂水でも山陽自動車道に入りそびれ、姫路でようやく山陽道へ。そこで親方が運転を交替。後でひろぽんとセルジオが口を開けて寝ている横でBOZZが暴れておりました。

 
(左)口を開けて寝るセルジオと道中一睡もせず暴れまくっていたBOZZ。(右)食べているのはなぜか梅昆布 
SAでの休憩。さっきまで寝ていたのに、この食欲。徳島名物の串さし竹輪(?)。 それにしても、この2人食い過ぎ。軍団きっての大食いだけに、これから先が恐ろしい。

 


 

★おお、九州だ! しかしイナリ号煙上

美東SAにて、運転はひろぽんに交替。親方もセルジオも寝ているうちに、関門海峡を通過。本州と九州って、こんなに近いんですね。いよいよ九州上陸です。なのにガソリンがないことに気付き、GSのあるSAもしばらくないことに気付き、仕方なく小倉東インターで下りて給油。私はそれから、うとうと。「エンジン、切って!エンジン!」という親方の大声で目が覚めました。起きてみるとPAの駐車場。エンジンを切った途端「ぼこぼこぼこ、ぶしゅ~」とすごい音、ボンネットから煙りが上がっています。雨が降りしきる中、親方とひろぽんはボンネットをのぞいてます。標識を見ると、ここは「山川PA」、時刻は12時30分。地図で確認すると、最初の目的地南関インターの手前です。あとちょっとなのに。

相変わらず口を開けて寝ているセルジオを起こし「車、こわれたよ。」と言うと、「あ、そう。」とまた眠ろうとします。叩き起こすと、しぶしぶ出ていきました。私はBOZZが暴れるので、車の中で留守番です。結局、水が空っぽで、どこかに穴が開いたのではないか、ということ。水を補給して今日1日は何とかなるだろうと出発しようとしたところ、セルジオの姿が見当たらず。なんと食堂でラーメンを注文してました。親方ひろぽんも少しずつ食べて車に戻って来ました。3人で「おいしかったなあ。」を連発。ちくしょー。

 


 

★お墓参り

南関インターで下りて荒尾市へ。ここは、親方が生まれた町です。親方が生まれて僅か3週間で亡くなってしまった父親のお墓参りに行きました。親方の記憶だけを頼りに、迷いつつも何とかお寺に辿り着きました。お参りした後は、すぐ近くの炭坑跡を散策。親方の生まれた家を探したのですが、ついに壊されて、周りは雑木林と化していました。親方の父親は三井鉱山の役員をしていた家で、大きな敷地に池のようなプールがあって家の中にはボールルーム(ダンスホール)があって、7年前に親方が来た時には荒れ果てていたものの家は残っていて、その様子が確認できたそうです。キャバレロに貼ってある親方が赤ん坊の時の写真は、唯一その家で撮影されたものです。そして、跡取り誕生を祝ったパーティの後、庭の池で酔いを冷まそうとした父親は池に落ちて亡くなってしまったのです。延々と続くレンガの塀と当時の細い道だけが残る炭坑の町は、雨の中ですべてがモノクロにけむり、どこか遠い国の炭坑町のようにも、あるいは昭和初期の映画のシーンのようにも思えました。


雨の中、親方の父親のお墓へ。後ろに見える赤いテントは「ロバのパン」屋さん。

 


 

★「民宿平川」へ

荒尾を出た後は再び九州自動車道に乗り、御船インターまで。もう6時近く、暗くなってしまいました。「ことぶきや」というスーパーで夕食の買い出しをして、親方の従兄弟が住む矢部町まで445号線を1時間。容赦なく降る雨とくねくね曲がる山道に、運転手のひろぽんは泣かされ通しでした。大きなイナリ号では対向車とすれ違うのもヒヤヒヤです。やっとの思いで矢部町を過ぎ、トンネルを2つ越えたところに従兄弟の和さんが車で迎えに来ていました。和さんの家の屋号は「滝の上」。218号線の脇に大きな滝があり、そこからまた山に入っていきます。細い道で約1Km、その細い道からまた100メートルほど軽トラックが一台やっと通れるくらいの私道を入ると、和さんの家(ページ冒頭の写真)です。

家では和さんの弟家族が迎えてくれました。テーブルの上には馬刺辛子蓮根が用意されていました。それをつまみつつも、膨大な荷物を下ろして、とにかく夕食の準備。オードブル以外は写真を撮るのを忘れてましたが、メニューは、生ハムとチーズ、サラダ、馬刺のカルパッチョ、ペンネアラビアータ、牡蠣のパスタ、........。最初の日の宴会は、従兄弟の淳一さんを交えてひたすら食して盛り上がりました。時計など一度も見ることなく、皆いつのまにやら大座敷のあちこちで寝むりこけておりました。



(左)親方に勧められるまま葉巻をくゆらす和さん。 (右)和さんの弟・良行さん家族。自衛隊鬼幹部、でも親方の子分。

 


ぎっしり雀蜂を漬けた焼酎。ひろぽんは勇ましく飲んでました。

 


 

10月22日(月) くもり、ときどき雨、ときどき晴れ。田舎の朝

朝起きるとテーブルの上には宴会の残骸。食卓を片付けようと思っていたら、ひろぽんがもっそり起きて、残っていたワインをいきなり飲み、また寝ました。とほほ。外を見れば、前日の夜は暗くてわからなかったけれど、朝の光の中で見ると周りは本当に何にもありません。本物の山の中の一軒家、しかも49才独身男の和さんは一人暮らしです。なのに、玄関にある長靴にもサンダルにも、洗面所の歯ブラシにもタオルにも「平川」とマジックで名前が書いてあるのはです。

9時頃には全員起きて、朝食の準備。朝のメニューは、ごはん、お味噌汁、和さんの冷蔵庫にあったお漬け物やらお浸し等7種、もろきゅう、辛子蓮根......。もちろん、民宿(?)の朝ごはんにはビールです。セルジオひろぽんは尽きることない食欲を見せつけてくれました。

神々のふるさと高千穂へ

食後、イナリ号を近くの町の修理屋さんに持っていきました。ウオーターポンプが壊れているので、翌日の午後1時に部品を取り寄せるとのこと。

お昼頃、お休みを取ってくれた和さん淳一さんの車で出かけることになりました。当然、家に鍵なんてかけません。開けっ放しで出発。ひたすら山道を走って、宮崎県へ。「神々のふるさと高千穂」です。まずは夏ミカンのソフトクリームを食べて、壮大な景観に感動しながら高千穂峡谷を下ります。

 

  

途中の休憩所では、また食べます。地鶏の串焼き、ウコッケイのゆで卵、ビールに、ひろぽんは名物「かっぽ酒」(燗をした日本酒を竹でいただきます)を飲みます。



  
(左)親方と同い年、双子のようにして育った仲の良い従兄弟の淳一さん (右)ウコッケイのゆで卵を食べるDEMI夫人
 
 
飲む、飲む、食う、食う。役に立たない助さん、角さん&かわいい八兵衛(BOZZ夫)
 

★天の岩戸神社、禁足地の謎

時々晴れ間が見えるものの、雨は降ったり止んだり。高千穂峡を出て、天の岩戸神社へ。天照大御神が岩戸隠れをしたという神話の土地です。しかし、天の岩戸は禁足地のため、入ることができません。神社内を川沿いに歩いていくと、ちょっとしたトレッキングです。その先には「天安河原」という場所に出ます。ここは、八百万の神々が相談をした場所と言われていますが、岩窟に鳥居があり、数え切れず小さな石が積まれ、川の水しぶきがけむる、恐ろしげな場所でした。

私は「禁足地」とは一体何ぞやと、帰り際に社務所に寄って尋ねたのですが、納得のいく返事は得られず。神社の方は、訪れる人の素朴な疑問にもう少し快く応じていただきたいです。仕方なく参道の売店で「高千穂の神話と伝説」という小冊子を購入。親方達は「くろうま」ワンカップ焼酎を地元のラムネで割って飲んでました。

帰りの山道には、有名焼酎メーカーの工場が点在しています。水がいいのでしょう。それにしても、いかにも工場という感じで、情緒はありません。日本酒の小さな造り酒屋の方が雰囲気があります。スコッチの蒸留所やワイナリーのようにはいきませんね。



  
(右)天の安河原。ああ、無気味なのか、安らぎなのか。この静けさとせせらぎ。

 


 

★天然記念物・池尻の唐傘松

天の岩戸神社から矢部町のことぶきやに寄って夕食の買い出しをしてから、和さんの家へ帰宅。雨も止んでいいお天気になりました。夕暮れまで時間があるので、セルジオと私は一本松までお散歩。「天然記念物・池尻の唐傘松」(下の写真)は、和さんの家の裏庭(?)にあります。近道をすると歩いて10分くらい。親方が子供のときは遠足でよく来たそうです。この丘の上に立つと、廻りは深い山、山、山。今が21世紀であることを示す物(鉄塔や電線、看板など)は一切目に入りません。田舎はこうでなくちゃね。

 

 


 

★2日めの夜、宴会本番

さて、家に戻ると再び夕食の準備。メニューは、皆のお土産;馬刺、辛子蓮根、銀杏などに、我々(といっても私はうろうろしていただけで、ひろぽんとセルジオ)がつくったオードブル(ソーセージ、モッツァレラ&チーズ、生ハムのサラダ)にパスタ(カルボナ-ラ、ペペロンチーノ、トマトソース)などなど。2日めの宴会は月曜日だというのに、総勢20名近くが集まりました。こういう親戚の集まりに慣れていない私は妙に緊張したのか、早々にダウン。私が寝てから、ひろぽんがサックスを吹き、親方がギターを弾いて歌ったそうです。そうやって、何本のワインと焼酎とビールが空いたことでしょう。熊本人はとにかくお酒が強いです。田舎の宴会にお開きなどという野暮はなく、6時過ぎからひたすら飲み、ひたすら食べて、いったい何時まで続いたのやら。


宴もたけなわな状態。田舎のお座敷には仏壇ですよね。 お客さんは何より先にまずお参りしてから座ります。
 
左)親方の従兄弟・淳一さんと誰にでも甘えるBOZZ夫。(右)親方の従姉妹2人と叔父。

 


 

10月23日(火) 晴れ。もう最終日

夜中に目が覚めると淳一さんが帰るところでした。朝目が覚めると、和さんが仕事に出かけるところでした。(和さんは消防士です。)どうやら私が一番よく寝たようなので、食卓を片付けることにしました。途中、ひろぽんが起き上がり、またしてもグラスに残ったワインを虫が浮いているのも気にせず飲み干し、そしてまた爆睡。そうこうしていると、今度はセルジオが起き上がり、食卓を眺め、「これ、どういう味?」と言いながら辛子蓮根を口にして、また横になりました。

全員が起きたのはやはり9時過ぎ。順番にビール持参でお風呂に入り、その後で朝ごはん。ビールと共に残った食料を相当量片付けました。食後、親方とひろぽんとセルジオはようやく晴れた庭を駆け回り、持ってきたモデルガンで撃ちまくり。武器に異常に敏感なBOZZはモデルガンに吠えまくり。私はお酒を飲みながら、縁側でごろごろ。ときどき親方も戻って来て、縁側で葉巻を吸いながら、ごろごろ。遊び過ぎたひろぽんとセルジオは、また昼寝。まるで、おばあちゃんの家に遊びに来た夏休みといった風情でした。

 

最後に記念撮影。

 

 


 

★熊本市街探検

結局、車が修理工場から戻ってきたのは4時過ぎ。それから御船のことぶきや(熊本の田舎ではどこもスーパー「ことぶきや」が牛耳ってました)で目星をつけてあった五木のとんこつラーメンやら、フンドーキンの味噌やら醤油やら、お豆腐をお土産に購入。そこへ淳一さんが来て、お勧めの馬刺屋と辛子蓮根屋に連れていってくれたのですが、それがもう絶対に地元の人しか行けないような場所。すぐ近くと言ったわりには、道なき道を行き、辿り着いたのは馬刺屋と辛子蓮根屋が並ぶ下町風なところ。でも確かに上田商店の辛子蓮根は美味しい。辛いだけじゃなくて味があります。おまけにくれたミニサイズの辛子蓮根もかわいかった。くり本の馬刺も楽しみです。

御船からは淳一さんの誘導のもと、とんこつラーメンを食べに熊本市街へ。本場のとんこつは名古屋で食べるのより、あっさりしてました。ラーメン屋さんで淳一さんと別れた後、夜の街を散策。親方が生まれて初めて食べたインスタントラーメン「アベックラーメン」を発見、もちろん購入。シガーを置いてある煙草屋さんも見つけて、記念に購入。ひろぽんは本屋さんでなぜか熊本版「まんぞく」を購入。セルジオは友人に頼まれていた熊本銘菓「陣太鼓」を購入。買物しながら歩く熊本の街は、名古屋よりも活気があるように思えました。細い道にぎっしりと新旧入り交じって建つビル。最先端のお洒落なカフェやバーがあるかと思えば、日活映画に出てきそうな古い字体の看板に老舗風のバー。そして、街角には数え切れないくらいのお花屋さん。今度来たときには、ゆっくり夜の熊本を楽しみたいなあ、と後ろ髪を引かれつつ熊本を後にしました。

 


 

★寂しい帰り道

帰りは熊本インターから、とにかく真直ぐ名古屋へ。書くべきことは、ほとんどなし。すごい霧のなか中国自動車道をひたすら走り、名神に入って一宮インターに到着したのは24日朝の8時。ラッシュアワーの中、とぼとぼ名古屋に戻ってまいりました。

終わってみれば、あっという間の3日間。熊本に行っていたのが夢のよう。疲れ果てた一行は、各々の家で泥のように眠りました。

 


 

★あとがき:親方の少年時代にふれて

 

最終日の昼間、ひろぽんとセルジオがお昼寝しているあいだ、親方と私は、親方の育った村「須原」(すばる)に行ってきました。途中、歩いていた人は皆、知り合いです。写真のおばあちゃん↓(写真左)は、親方のおばあちゃんの妹。一本松の田んぼから3キロ先の自宅まで歩いて帰る途中でした。次の写真(写真中央)が親方を育てたおじいちゃんの家。今は違う人が住んでいますが、家はそのままです。すぐ近くの田んぼの横におじいちゃんとおばあちゃんのお墓がありました。当時この辺りは土葬が習慣で、誰かが亡くなると村の男衆が皆でお墓を掘ったそうです。スバルの村からけもの道で一山越えたところに親方の通った小峯小学校があります。私とBOZZが写っている写真(写真右)が小学校の入口の坂です。横には神社ともいえない小さなお社があります。今は小学校は合併されて、保育所と公民館になっていました。親方の通ったお寺の幼稚園はまだありました。でも、その脇にあったという駄菓子屋さんはもう閉まっていました。

 

  

  

 

親方の父親は、音楽とスポーツを愛し、正義漢として地元の信頼厚い人だったそうです。その人が荒尾の親戚を訪ねて遊びに来ていた田舎娘(親方の母親)を見初めて結婚し、生まれたのが親方です。ところがすぐに父親が亡くなって、赤ん坊の親方はいったん母親と一緒にスバルに戻りましたが、母親は生活のために名古屋に就職し、親方は父方の知り合いの家(滋賀県)に養子に出されました。しかしその家に子供が生まれたため、3才?で再びスバルのおじいちゃんの家に戻ってきたのです。そして、母親が再婚して親方を名古屋に呼び寄せる10才までの少年時代を熊本の山の中で過ごしました。すごい田舎だとは聞いていましたが、私には想像以上の山奥でした。おじいちゃんとおばあちゃんと3人で暮らし、たまにバスに乗って遊びに行った一番近い親戚が、今回我々の泊まった和さんの家だそうです。滝の横のバス停で下り、5人の従兄弟に会うのを楽しみに山道をてくてく1キロ歩き、いつも坂道の途中にある水飲み場(写真下)で湧き水を飲んで休憩したそうです。

 

 

荒尾の町では、赤ん坊の頃の親方の姿よりは、大人になって初めて自分の生まれた家に父親の残像を探しにいく親方の姿が目に浮かびました。そして親方が育ったスバル周辺を訪ねたときには、私のすぐ近くに、子供の頃の親方の姿が見えるような気がしました。近所の同級生と元気に山の中を走り回る親方、大川の町でおじいちゃんにプラモデルを買ってもらって喜んでる6才の親方、駄菓子屋さんでアトムのシール欲しさにマーブルチョコレートを万引きして逃げる7才の親方、万引きがばれておばあちゃんに箒で叩かれてる親方、御船の町の淳一さんの家から一人でバスに乗って帰る途中、寂しくて泣いてる8才の親方、バス停から和さんの家まで歩く途中、水飲み場で美味しそうに水を飲む親方、一本松の丘でおばあちゃんの塩おにぎりを頬張る親方、小学校の横のお社の階段を駆けおりる9才の親方、..........そして、名古屋に行くのを泣いて嫌がる10才の親方。

 

今まで親方から話に聞いていただけの人と土地を目の前にして、決して共有することはできないけれど、熊本の山の中に親方の心の原風景をかいま見た旅でした。