毛利式速記法について(第1回) | 個人用途の新速記法 EPSEMS(エプセムズ)

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 草書派理論(CURSIVE THEORY)に基づく
  日英両言語対応の手書き速記法







毛利式速記法について(第1回)








 毛利式はすごい。


 毛利氏のようにドイツへ行ってドイツ語の速記法を研究したとしても、あの時代において、毛利式のように論理的な構成と美しい書線を持ち、かつ実用化に及んだ速記法をつくり出すことなど、決してできなかったと思う。


 その五十音符号を眺めているだけでも、速記符号としての美しさとともに、何かしらの整合性、秩序といったものを感じさせられる。


 毛利式速記法は、毛利高範(注1)氏が明治32年(1899年)、「日本短記法」として発表して以来、不備な点を改めて方式に磨きをかけるとともに、「略韻法、略音法」などを追加し、方式として充実、洗練化させていったものである。


 本日以後、日本語速記初級編や英文速記ベーシックの記事とは別に、不定期の予定ではあるが、「毛利式速記法」について、毛利高範著「毛利式日本速記法詳解(昭和2年=1927年)」を中心にして書き記してみたい。


 斜線派(注2)系統の速記法として日本で初めて実用化を果たしたと言われる毛利式。 少なくとも私の知る限り、日本において「斜線派」系統で実用化された速記法は、「毛利式」以後、あらわれていない。


 以下、「毛利式日本速記法詳解」について書き記してみたい。




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◆ 「毛利式日本速記法詳解」の内容


   表紙

   ↓

   (巻頭=成熟音字表)

   ↓

   序

   ↓

   目次

   ↓

   第一部=初等速記法

   ↓

   第二部=通信速記法

   ↓

   第三部=高等速記法



◆序


 序文で、毛利氏は以下のような意味合いのことを述べている。


「 田鎖綱紀氏が明治15年、日本語速記法を発表して以来、著しい発達を遂げ、いくつもの方式が出ましたが、多くは田鎖式と同じように円形を分割した幾何学的な線を使い、省略するには縮綴と略語とを用いる方法しか出てこなかったのでした。 元来、速記法には文字的(草書派) と幾何学的(幾何派)との二大派があり、前者はローマ字に似た形で、同方向に筆を動かすので、書くのに都合がよいのですが、後者はこれに反し運筆不自然で、その便否は論ずるまでもありません。 それゆえ、我が国にはまだ存在しないこの文字的(草書派)の速記法を組み立てようと企て、明治24年(1891年)以来、幾多の研究と実験とを重ねた結果、ついに一新法を発見し、「日本速記法」と名づけ、大正9年(1920年)7月、これを公にしました。 その新法とはどのようなものかと言えば、動詞語尾の変化を基本として、略韻法を設け、これを拡張して略音法を制定し、急速な弁論を筆写する道を開いたのです。 大正11年(1922年)8月、日本速記術を著して法の活用を説き、鳥の両翼とも見るべき法と術とを完成し、ついで大正12年(1923年)4月、毛利式速記学校を起こし、数十名の学生に教授した結果、さらに詳細な説明書の必要を感じて著したのが本書です。 このように、略韻法と略音法によって書かれる速記法は、規則が簡単で覚えやすく、また合理的で機械的な暗記を要せず、したがってその熟達が速やかであるので、各方面に効力をあらわして、時勢の進運を助けることができたならば、著者の本懐これに過ぎません。」





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  (注1) 毛利高範(もうりたかのり


 慶応2年12月5日(1867年1月10日)、肥後宇土藩主細川行真の子として生まれる。 叔母が豊後(大分県)佐伯(さいき)藩主12代毛利高謙の後妻になったことから佐伯入りし、高謙の養子となった。 廃藩置県により高謙は佐伯を去り東京に移住したので、高範も幼少時代は東京で育った。 明治10年、東京府の下等小学第3級を卒業した際には、東京府庁から優等賞をもらっている。 高謙が没したのに伴い、その家督を相続した。 学習院に入学しているが、それとは別に、独逸学の教授を目的とした半民半官的性格を持つ「独逸学協会学校」へ通った時期もあった。 海外留学に備え、約4年間、ドイツ語を勉強していたが、21歳の時ドイツへ渡る。(明治21年5月から明治24年4月までの約3年間) ドイツでの動静はほとんど不明である。 帰国後、宮内省式部官に任命されている。 その後、佐伯に戻り、明治40年頃まで過ごす中、速記の研究を続ける。 速記に関する自著の序文等でも自分の過去を語ることはなかった。 「ドイツ語圏におけるの日本人の名簿」(1865-1913)にも採録されていないところをみると、正式な学生として大学に登録することはなかったのではないかと思われる。(聴講生として学んだ可能性はある。) だがいずれにせよ、ドイツ滞在中に速記を学び、また、熱心なドイツ演劇書の収集家でもあった彼は、劇場にも度々出かけたことだろう。 収集した演劇書の膨大な量からして、彼には旧佐伯藩主として資金が豊富であったと推察される。 明治40年9月、子女(2男5女あり)教育のため、東京に転居。 ドイツ留学中に習得した速記術を工夫し、毛利式速記法を完成させた毛利高範の造詣の深さは、華族界にあっても異彩を放った。 自ら設立した毛利式速記学校の校長をつとめ、大正2年以後は貴族院議員に2回当選した。 妻は越後与板藩第10代藩主、井伊直安の娘である。 長女の千代子は近衛文麿に、次女泰子はその弟である近衛秀麿に、四女喜代子は筑波藤麿に嫁した。 子らはみな速記術を習得し、泰子は西園寺公望の秘書だった原田熊雄に協力してその「原田日記」を口述筆記した。 細川護立とは、はとこである。 昭和14年(1939年)6月12日没。 芝高輪の東福寺の毛利家墓地に葬られた。 戒名は速記院殿開新高範大居士。




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  (注2) 斜線派 (→以下を参照)



 いわゆる「手書き速記法」は、その「書線」の形態から、以下のように分類することができる。


◆正円幾何派=幾何派(Geometric systems)

 主に定規とコンパスにより書かれる線を理論上の書線としてとらえる。 円弧(円の一部)や数方向の直線、円、楕円、点、等々によって構成される。 フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語といったラテン語系統の言語、英語、日本語、韓国語、中国語などに、「幾何派」に相当する速記法が数多く存在する。


◆斜線派=斜体派=草書派(Script systems=Cursive systems)

 

ローマ字の筆記体の一部から取ったような線を速記文字として多く用いる。 斜線派の速記法には、母音に「右上方向、水平方向」などの上昇傾向の書線を多く用い、子音に「左下方向、右下方向、水平方向」などの下降傾向の書線を多く用いるものが多い。 ヨーロッパ諸言語にはこれに相当する速記法も数多く存在する。 ドイツ語やオランダ語、北欧の諸言語、中欧や東欧の諸言語、ロシア語などのスラヴ系言語などでは「斜線派」がかなり優勢で、ほぼ席巻している状態である。


◆文字派(Alphabetic systems)

 普通文字の字体の一部を速記の書線に用いる。 また、文字派以外の速記書線をも実際には用いたりする。 この「文字派」に相当する速記法は、上記の「幾何派」や「斜線派」が存在する各言語の多くに結構存在するようである。


 なお、英文速記のGregg式のように、「幾何派」に「斜線派=斜体派=草書派」を一部融合させたような書線を有するため、「半斜線派=半斜体派=半草書派」(Script-Geometric shorthand または Semi-Script shorthand)などと分類できるものもある。




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↓ 画像1枚目

   =毛利式速記法の五十音符号 (=ア行~ワ行の順)

毛利式速記法 五十音符号

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