~玉響の時~ -7ページ目

存在の有無


どうしても心がひらけないのは、

自分の事は自分で解決しろ・・。

と言う相手の態度が、

結局、夫が在ろうが恋人が在ろうが、孤独な心は何も変わりがないから、なんだろうな・・って思う。

それはどういう事か・・。
と言うと自分が助けて欲しいとき、相手が自分の事を犠牲にしてまでも自分を助けてくれなかった時。

そして自分でなんとか解決出来てしまった時、相手の有る意味が無くなる。

それでは心の中では、ただ存在が居るだけになってしまう。

相手の存在に期待して傷付くよりも、最初から期待しないで自分でやって行った方が、自分の心には優しいと悟る。

誰にも頼らずとも、なんとか切り抜けて行けると気づいてしまったとき自分の中にある相手の存在は無くなる。

幸せのありか

貴女の幸せってなぁに?

私の幸せは・・

当時、なかなか答える事が出来なかった。

何を高望みしていたんだろう。

今は、答えることは出来る。

望みは、自分が行動していけば全て叶う・・。
とは言い切れないが叶う。

今よりは叶う。

疑心なら、まずは動いてみると理解できる。

神様に願う事は、自分の力ではとうてい成す事が出来ない事だけ。


幸せとは何か・・。

自分が思う幸せを分解してみると謎が解けるかもしれない。

幸せとは、いつも自分の中に存在してるものだと思う。

余りにも近くに有りすぎて気づけないかもしれない。

きっとずっと側にあるものだと思う。

自分の生涯を見据えた時

今は、身体が普通に動いているから仕事も出来るけれど、
病気や怪我がで体の自由が利かなくなったとき出来る仕事ってあるのだろうか。

ただ、毎日を病院の中や家の中、ベッドの中だけに行動範囲が限られてしまった時、自分は何を思い過ごして行けば良いのだろうか。

その状態が10年20年30年続くとしたら・・。

しかも、そばには誰も居なくなり孤独だったら・・。

何を思い続けて生きていけばいいのだろう。

先に続く人生を絶望しながら生きていくのは、明らかに過酷だと思う。

生涯に渡って続けて行けるものを探してみようかと思う。

そのような状態になっても生きていけるように・・。

何が出来るだろう。

感じる心があれば、絵を描く事が出来るかもしれない。

声が出せれば、歌が唄うことが出来るかもしれない。

心の中に無限性を信じたのなら、留まることなく世界は拡がって行くだろう。

そう考えると文化や芸術は、人にとって生涯に渡って寄り添って行けるものなんだと思う。