日日是日常

毎日、生活から学んだことをつづるブログです。


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阿久悠という作詞家が「文学の輝かしい時代はとうに終わった。今はやりの引きこもりやフリーターを描く矮小な文学世界にはうんざりする」といった趣旨の発言を、さる新聞のインタビューでしていた。

ぼくも基本的には同じ意見だ。

しかし、かれのいう「文学が輝いていた時代」は、あくまで若き阿久悠の主観であって、それより先の古い世代から見れば、それはやっぱり「うんざりする」筋合いのものではなかったかということを、頭の中の別の場所でチラリと思った。

つまり、阿久悠が感じていたかつての「文学の輝かしさ」は若き阿久悠の感受性の輝かしさの所産であって、阿久悠がいま感じている幻滅感は老いた阿久悠の感受性の老化の所産なのではないか、ということだ。

かつて映画評論家の淀川長治さんは、「世界最高の映画作品は何か」という質問に、たしかチャップリンのある作品(「街の灯」だったか?)を挙げていた。

それは、映画の創生期から現時点までに現れた無数の作品、つまり無声映画の時代からハリウッドの特撮作品までを平等に並べ厳密に価値判断した結果というより、淀川氏という一人の人間の感受性がもっとも柔軟だった時期に最も心に染み込んだ作品である、という捉え方が至当なのではないだろうか。

老いた淀川氏に、直近の芸術作品を価値判断する感受性を要求するには無理があるのではないだろうか。つまり、一人の人間に世界最高の映画作品を問う質問自体が、きわめて愚劣なのだ。

阿久悠氏の話に戻ると、かれの文学作品に対する価値判断力も、過去と現在とではそうとうな落差があると考えていいと思う。

阿久悠がかつて感じていた文学作品の輝かしさは、自分の青春の輝かしさと二重写しになっており、そこに客観批評から乖離した重大な齟齬があるのではないか。

文学とは、原理的に、同時代に生きる人々の精神世界を描くものだ。このセオリーは遠い過去を思い出す時代小説においても、遠い未来を空想する未来小説においても、変わりはない。

極論すれば、時代劇においては現代人がちょんまげを結っているに過ぎず、未来劇においては現代人が戦闘ロボットを運転しているに過ぎない。そうでなくては、現代人の共感を得ることが出来ず、卑俗な言葉を使えば「商売として成立しない」のだ。

戦中派の作家が戦争を描いたように、団塊の世代の作家が学生運動を描いたように、だから現代の作家はニートやフリーターを描く。もし、それが矮小なくだらない与太話に堕しても、それは時代のせいであり、作家のせいでは無いように思うし、その価値判断を、すでに同時代の息吹を感受する精神の弾性を失った過去の異世代の人間にゆだねて至当な結果が得られるようにも思えないのだが。
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