すきなものの話をしよう。


すごく好きな人がいるんだけど、その人のこと考えるうちにわたしの「すき」は何て言うか、見守り愛みたいな一歩引いたスタンスのものだと気付いた。よ。


観察愛って言ったらへんたいすとーかーっぽく響いたからやめたんだけど、触りたいとか喋りたいとか一緒にいたいとかじゃないの。
つか変に多くの接触を図って嫌われたくないって言うのがまず第一にあると思うんだけどね。どうせうまく喋れないしね。



だから必要以上に関わりに行きたくないというか。今この距離でもう好きだから、わたしと関わることで好きじゃなくなるのも悲しいしな。好きだからオールオッケーだなんて幻想だと思っているよ。


そんな婉曲を経ての見守り。基本は好きな気持ちさえ後ろ向きである。



こんなだから女の子同士の恋バナ自分のターンとかちょう苦手です。
恋バナ自体得意でない上に少し話そうもんなら「変」だとか「好きならこう出来るはず」だとか価値観の押し付けというかそういうお節介のように感じてしまうわけで。ちなみにこの手の話の終着駅は「それって好きじゃないんじゃないの」だからな!





あなたはわたしじゃないだろう(´・ω・`)?





なんて事態。まぁ恋ではなかったかもしれないけどね。

ちなみに今好きな人は、好きすぎて憧れとかも通り越して神格化してて「お誕生日おめでとう」すらおそれ多くて無理。なんだ。わかるかなコレ。お手紙したためたら色々募りすぎて途中で泣けてくるんだ。そんでコレが相手の元に届くと思っただけで無理だった。その手紙ね、結局出せずに手元にある(笑)

これ言葉にすると気持ち悪いなごめん。




一つ例を挙げると、中学生の頃……私の事を好いてくれた子がいたんだけど。あ、恋とかじゃなくて友人としてね。わたしもその子の事は好きだったから、嬉しかったのね。でも、逆にどうしていいかわからなくなっちゃって。好きでいてほしい→嫌われたくないってなって、今の私を好き=多少なりの美化がある→つまりあんまり介入すると嫌われる可能性ってなって、何かぎくしゃくしてしまった。その子とは高校が別になったからそれ以来あんまり連絡もとってはいないんだけど、未だに接するときは身構えてしまうのさ。ひみつだけどね。


表現をしないことが良くないんだって、わかっているよ。ただ、好き以上に嫌われたくないが強くてね。同じように表現を求められるとどうしていいかわからなくなるんだよ。

対人に難があるとは困ったもんだね。