こちら鹿児島も台風の影響を受けて、風が強い曇り日となっていますが、台風の進路やその近辺、また、遠い所でも、大雨となっているようですねビックリマーク
どうぞお気をつけてくださいねビックリマーク


先日、西郷隆盛の野屋敷跡にでかけてみましたビックリマーク
「西郷野屋敷跡」は、鹿児島市西別府町の、かこしま文化工芸村の敷地内にあります。


かごしま文化工芸村の解説にリンクしています音譜

大きな地図で見る
西郷南洲野屋敷の跡
野屋敷は、西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)、困窮した家計を助けるために、開墾して里芋や甘藷(サツマイモ)などを植えた農地がまわりにあり、西郷がよく一人で滞留していたところでした。(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋でした。)
明治6年遣韓使節派遣がかなえられず、帰郷した西郷隆盛は、武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため、暫し利用していました。明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。

鹿児島市のページ
より、引用しましたので、リンクしておきます音譜

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ヤマモモの木音譜
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西郷隆盛武屋敷邸跡☆

以前、ご紹介した事があるのですが、鹿児島市武にある西郷隆盛屋敷跡には、西郷さんが使っていた井戸があります音譜

武屋敷は、西郷が朝鮮への使節派遣の考えに反対されて一八七三(明治六)年鹿児島に帰ってから、一八七七(明治十)年西南戦争が起こるまでの四年間を暮らしたところです。屋敷は、約三千六百平方メートル(千百坪)で、建物は縁の高い御殿造りで部屋数も多く、庭にあった大きな松の木が訪れる人の目標になっていました。ここでの西郷のくらしは、まさに晴耕雨読の生活で、吉野や西別府で農耕に励む一方、県内各地で狩猟や湯治を楽しむなど、″武村の吉″としてゆうゆう自適の生活を送っていました。また士族の青少年の教育のため私学校を創設したり、屋敷に沖永良部島で知り合った川口雪篷を同居させ、近くの子弟の教育にあたらせました。

屋敷は西南戦争で焼け、一八八○(明治十三)年、弟の従道が再建しましたが、現在は公園となり、当時の井戸だけが残っています。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)


鹿児島市ホームページより引用


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西郷隆盛と庄内出身の菅実秀(すげ・さねひで)の会見の像

菅実秀とは。。。
 明治元年戊辰戦争が勃発するや軍事掛に任ぜられ、家老松平親懐を助けて庄内藩の指導に当たり、降伏後は戦後処理に敏腕を振るう。このとき西郷隆盛の厚遇で藩の危機がすくわれたため、以後西郷に師事し鹿児島藩の諸政策を参考にした。明治2年中老に任ぜられ、明治3年大泉藩(改称)の権大参事となった。明治4年、西郷隆盛と初めて東京で会う。酒田県が成立すると大参事。ワッパ騒動により引責辞任。西南戦争後、「南洲翁遺訓」を刊行。

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☆小松帯刀邸跡 石垣など☆
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鹿児島市に,1865年と1866年に坂本龍馬が薩摩を訪れた際に滞在した「小松帯刀邸跡」があります。
今は、個人のお宅ですので、外からながめる事だけ、できますビックリマーク
小松帯刀は若くして薩摩藩家老となり,改革を唱える下級武士の意見にもよく耳を傾け,西郷隆盛や大久保利通といった薩摩の志士の活躍を藩の家老という立場で支えた人物で,大河ドラマ「篤姫」にも登場しました。坂本龍馬との親交も深く,寺田屋事件の後,西郷隆盛らとともに龍馬をかくまい,そのまま薩摩に渡る手はずを整え,自分の別邸に泊めたほか,亀山社中の創設を支援するなどしました。龍馬は,新政府の人事が話題となった際に,小松帯刀を推薦したと言われており,将来を期待される人材でしたが,病気のため30代半ばの若さでなくなりました。


ここ小松帯刀邸跡は、寺田屋事件の後に、坂本龍馬を滞在させていた場所なのだそうです音譜ニコニコ

坂本龍馬も小松帯刀も三十歳代の若さで亡くなってしまいましたが、長生きされていたら、スケールのある視野の広い事、いろいろとされたでしょうね~