両親の旅行。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。

昨日・今日と、両親が旅行に出かけていました。

ただでさえ体力の低下が激しい上にタキソテールの強烈な副作用に苦しんでいる最中だったので、ドタキャンもありだと考えていたのですが・・・
父は「 最後の旅行になるかも知れないから 」と言って強行。

私は九州に戻った後だっただけに付き添いも出来ず、心配で仕方がありませんでした。


しかしながら、終わってみれば旅行を満喫できたとのこと音譜
昨日の早朝に自宅を出発し、一昨日までの副作用や食欲の無さが嘘のように父は一日中元気な様子だったので、驚いた母が何度もメールをくれました。

予定外の場所まで足を伸ばし、真っ盛りの紅葉と温泉を楽しんだと父からもメールが届きました。

それを聞いて、私もびっくり仰天。
だってだって一昨日までの様子では「 ひょっとすると、今年は年賀状を書くことが出来ないかも知れない 」とまで思っていたくらいだったので。
前日の夜まで、旅程をキャンセルした方がいいと思っていたくらいだったし。。。

さすがに今日の夕方にはへたばってしまい帰宅するのもやっとのことだったのことですが、今回旅行を満喫できたことは家族にとって朗報だっただけでなく、父が人生を楽しむ自信にもなったはずです。

何故かは分かりませんが、こういう小さな奇跡も起こるのだから、万に一でも末期がんが本当に治ってしまうこともあるかも知れないと思わずにはいられませんでした。


私はと言えば、ダンナさんが珍しく年末年始のお休みをしっかりいただけることになりました。
大学病院勤務の時は大晦日や三が日のいずれかは必ず当直が入っていたし、当直が入っていない日も病院で年を越さなければならない患者様のもとに毎朝必ず足を運んでいたので、ゆっくりお正月を過ごすことは出来ませんでしたが・・・
ダンナさんは「 せっかくだし、海外で年越ししようか!? 」と。

我がダンナさん、父が年末年始に危ない状況になるとは全く考えていない様子。
そこに医者としての判断は全く考慮されていないんですがダッシュ
(「 医者にだって正確な余命なんて分からない 」が口癖なので)

年明け早々にはダンナさんの専門医試験が待ち構えているし、私もそれに合わせて実家に帰省する予定なので、年末年始くらい海外で遊んでお互いリフレッシュしてこようかな。


父を心配する気持ちと、自分自身もリフレッシュする気持ちのバランスを保っていきたいものです。