気になるこの人 ~藤原高子 | 前世はきっと平安貴族

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歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

今回は藤原高子について

まったくの私見で書かせて

いただくわね。

 

それ誰?と思ってらっしゃる?

彼女は9世紀半ばから10世紀初めに

かけて実在した女性なんです。

 

その生涯を簡単に紹介するとね

  ↓

 

842年に誕生。

25歳の時に清和天皇の元へ入内。

 

その後、2男1女に恵まれ、

長男は陽成天皇として即位する。

 

高子は「皇太后」の称号を得て

皇族の身分となり、母后としての

権力を得た。

 

自ら東光寺の建立に携わり、

深く仏道にいそしみ910年に

崩御した。

 

 

かな〜り端折ったけど

こんな感じかな?

 

あらまぁ!

とっても華々しい

栄光に満ちた人生だったのね?

 

と、普通はそう思うでしょう。

 

ところがところがこの高子様、

そうは問屋がおろさないのさ。

 

 

まず入内前の話なんだけど、

実は既に恋人がいた!

 

しかもその相手というのが

多情で有名な色男・在原業平

 

2人は恋の逃避行騒ぎまで

起こしたという。

 

 

あらら、そりゃマズイっしょ滝汗

 

帝のお嫁さんになるんだから

清い身体でいなくちゃいけないん

じゃないの~?

 

仰るとおりッス・・・あせる

 

 

高子には基経という"超"頭のキレる

兄がいたんだけど、この兄によって

高子と業平は引き裂かれる結果に。

 

そして高子は数年後、帝に入内。

 

しかしこの帝、つまり清和天皇と

いうのが当時16歳。

25歳の高子より何と9歳も年下!

 

かたや業平は高子より17歳年上。

そんな大人と恋愛関係にあった

高子にとって、子どものような

清和天皇と夫婦生活を続けるのは

相当しんどかったんじゃないかと思うのよ?

 

「な~んで私がこんなチビの

お守りをしなきゃいけないのよ!」

ってね。

 

 

それでも高子は頑張って皇子を

2人も産んだの。

 

だって清和天皇には数多くの妃が

存在していたから、藤原家のためにも

ここで頑張らないと入内した意味が

ないものね。

 

高子が産んだ第一皇子、貞明親王は

なんと生後3ヶ月で立太子!

 

しかも翌年にはもう1人の皇子も

産んでいるから磐石の布石よ。

 

その時高子は「さあもう私の役目は

果たしたからこれでいいでしょ?」

という気持ちになったんじゃ

ないかなぁ。

 

 

ところで

兄・基経と高子は

スンゲ~仲が悪い!

 

例えば基経ときたら、既に高子が

入内しているにも関わらず

自分の娘を2人も清和天皇に

入内させて高子の不興を買うし、

 

高子は高子でかつての恋人である

業平を陽成天皇の蔵人頭に推挙

して基経に苦々しい思いを

させる始末。

 

 

高子は陽成天皇の母だし

皇太后という最高の身分だから

これまで我慢してきた分

一気に鬱憤を晴らそうとしている。

 

対する基経は陽成天皇の摂政。

オレがいないと政治もうまく

回らんだろう、とタカを

くくっている。

 

 

とどのつまりはこの2人の

権力争いなのよね。

 

小学生かよッ!驚き

 

 

やがて清和天皇が30歳の若さで

崩御すると、この2人の仲の悪さは

俄然ヒートアップする!

 

何と基経は陽成天皇を退位に

追い込んでしまったのだ。

 

この時、陽成天皇はまだ17歳。

満年齢でいうとたったの15歳だ。

 

基経は「この天皇は幼い時から常軌を

逸した行動が問題だった」とか

「宮中で臣下に対する殺人事件を

起こした」とか悪い噂を流して、

陽成を帝位から引きずり降ろしたのだ。

 

 

しかも次の天皇を決めるのも

早かった。

わざわざ血縁関係の無い55歳の

光孝天皇を首尾良く即位させて

しまった。

 

 

高子の産んだもう1人の皇子が

いたにも関わらず、だ。

 

血縁からいえば高子の産んだ

皇子を即位させた方が都合がいいに

決まっている。

 

なのにそれを避けてまで基経が

高子を排除したかったのは何故か?

 

多分「これ以上コイツを

のさばらせておくと

とんでもない事になる!」と

思ったからだろう。

 

兄妹の不仲もここまでくると

理解しがたい・・・。

 

 

そして896年、55歳になった高子は

突如として皇太后の地位を廃される。

 

これで高子は皇族の身分では

なくなってしまった。

したがって権力も同時に失う

事となる。

 

その理由というのがまた首を

かしげるもので、何と高子が

東光寺の僧と密通したという

嫌疑によるものだった。

 

そんなふしだらな女は皇太后の

資格が無いということなんでしょうね。

 

 

以後、資料には高子に関する大きな

記述もなく、910年に69歳で

高子は逝去する。

 

先の陽成天皇退位事件も

そうだったが、この皇太后位の

剥奪事件も私はやはり基経の策略

だったと思っている。

 

デマを流し、それがあたかも真実で

あるかのように周囲の人々に思わせて

邪魔者を消すやり方だ。

 

しかしそこまでやるか???

 

基経はよっぽど高子が邪魔だった

んだろうな。

 

 

 

高子はどんな思いでいたんだろう?

 

読んで字の如く、高子はとても気位の

高い女性だったと思う。

 

そしてものすごく情熱的でパワフル。

なんたって恋の逃避行をしちゃう

ぐらいなんだから。

 

決してなよなよした深窓の姫君

なんかじゃなかった。

 

しかし残念ながら基経の方が

一枚上手だったという事だろう。

 

高子がもし現代に生まれていたら

どうするかな?

兄の悪行に対抗して暴露本でも

出すだろうか?

 

いや、それよりも毎日せっせと

SNS発信かな?

 

高子はやりたいように

自由に生きたかった。

ひょっとしてヤンキーちゃんに

なっていたかもしれないね。

 

基経という強大な兄がいたから

自由な人生ではなかったけれど、

もしも業平との恋が成就していたら

高子は幸せになれたのかな?

 

 

ところで高子は943年に

皇太后を復位されている。

 

良かったね!

没後33年も経ってしまったけど

これで名誉回復だよキラキラ

 

高子の皇太后復位を実現したのは

朱雀天皇。

 

孫でも曾孫でもない彼が高子を

復位させたのは何故なんだろう?

 

平安時代初期、廃后の憂き目に

遭って非業の死を遂げた井上内親王

ように怨霊となる事を恐れての処置

だったのだろうか?

 

 

高子・・・言いたいことが

いっぱいあっただろうな。

 

25歳で無理矢理入内させられ

はるか年下の帝との結婚生活を

強いられ、

 

帝位に就いた息子をその地位から

引きずり降ろされ

ついには自身の皇太后位まで

剥奪された。

 

「全部ウソなんだからね!

アイツ絶対許さない!」と、

最期まで基経を恨みながら

亡くなったのかな。

 

藤原の女に生まれたばっかりに

男が権力を得るための持ち駒に

されて、納得いかない人生だったよね。

 

きっと生まれるのが早過ぎたんだよ。

 

 

平安時代という枠組みには

そぐわない

自由奔放でスケールの

大きな魂を持った姫君

それが藤原高子。

 

 

と、私はこんな風に思ってるん

だけど、もしも高子に興味があれば

杉本苑子氏の『二条ノ后』という

小説を読んでみるのも面白いよ。

 

 

 

あと、基経に興味を持った方は

漫画『応天の門』がオススメ。

この基経はとにかくクールで

権力の鬼。

血が通ってないのかと思えるほど

憎らしいよ。

ま、それはそれで魅力的ですが。

 

 

いやほんと、見事なまでの

基経像です!