五つ上の姉。
祖母の子供。と幼かった私は思っていたし
そぉ親戚中に植え込まれてました。
母の事は〜ちゃんと呼ぶし、祖母の事を「お母さん」とも呼んでいたので何とも思わなかったですね。


ただ、意地悪でしたね。
祖母の家に行っても遊んだ記憶はありません。

そんな姉が中3になる頃でしょうか。
突然、一緒に住む。事になります。

もちろん「ママの子。あなたのお姉さん」と言われた時には混乱しました。
混乱しても、反対しても、もぉ同居する事は決まっていたんですから
あの時の私…おつかれ!って感じです。

姉は優秀でしたよ。
勉強も運動も群をぬいて、あっとゆう間に人気者になりました。
もぉ、そぉなると学校で必要な集金などは
一切払わなくなりました。
毎日、クラスメイトの前に出され「なぜ、アナタの家だけ持ってこないのか」散々、担任の先生から問い詰められました。
習い事の集金も払わなくなり、保護者にも問い詰められました。

旦那も子供も居て水商売に戻り
日頃の鬱憤を酒で誤魔化し
お金を手にして女を取り戻し
母は社会性も常識もズレていき
家庭でも母親とゆう仕事をしなくなりました。

部屋は荒れ、洗濯物は山積み、買い物も私と弟。
何かあるとヒステリックに怒鳴り

その穴埋めケアテイカー役が姉ではなく私でした。

小学生の私は大人になったら殺したいリストに
母を入れて居ました(笑)
父は飲食関係の仕事をしていて夜勤が多く、帰宅は夜の2時頃。
子育てで疲れている母を起こしてばかり居たそうです。
そのうちに会社の後輩を夜夜中に連れてくるようになり、母はその世話です。
ストレス溜まりますよね。
そのはけ口がパチンコだったと推測してます。

私と弟が学校に起きると酒盛り状態でビックリしたのを覚えています。
この辺から狂って行ったんですよね。我が家は。

小3位から父は我が家に連れて来ていた女と不倫をするようになって母は完全にアルコールにいきました。
生活費もロクにくれなかったそうで父が居ない時間帯に水商売に行くようになりました。

当時、2歳の妹が高熱を出して苦しんでいる時
困った姉と私が母に電話しても出ない、しつこくならしたら一回だけ繋がり「かけてこないでよ」の一言に泣き噦ったのを覚えています。
子供って親が居ないのって怖いんです。
妹が死んだらどうしようと10歳の私は怖かったです。

その辺りから私は親に対して離脱が始まったと思います。